一貫して、子供室というものの独立を志向してきたのが、
個人主義思想が極限的に追究された戦後以降の住宅間取りだった。
住宅の間取り思想でいちばん最初だったのは、
居間と食堂の分離であり、その後、ひたすら面積の拡大と個室の増加が
追究されてきたのだと思います。
「ウサギ小屋」とかと自虐する傾向が社会に蔓延し、
子どもの「独立心」を養うよきものとして「子供室」が定着した。
わたしも昭和60年代、親が建てた家では個室が与えられた。
親の期待としては、「ここまでやってやったんだから、当然有名大学に」
というのが一般的な心情だったのだと思う。
日本人には「どうしたら学力が向上するか」という
科学的知見が不足していたというようにも言えるし、
個人としてだけの空間に「籠もれば」思考が深まり
その分「集中力」が向上して学業も進捗する「のではないか」と考えた。
親世代には考えられなかったそうした豊かな「住環境」が実現すれば
競争社会の中で比較優位に立てるという神話が形成された。
たぶん誰がそう言ったというようなことではなく、
集団的信仰として、こういう「個室幻想」は共有されていた。
しかしすでに、社会として結果は明白に出ているのではないか。
最近よく言われているのは、他者からの視線がなければ、
学習する意欲はなかなか自生してはこないという事実。
そう大きなモチベーションがなければ、個室に入ってしまった子どもは
その年代なりの個人のカラに閉じこもってしまい、
それが固定化する、非社会的個人主義に埋没してしまいがちだと言うこと。
子供室文化は日本人の学力の向上よりも、
むしろこのような傾向をより多く生んでしまったように思われます。
ではどうすればいいのか、という住宅文化的解決として
家人の視線を感じられる空間に勉強の場をつくる、という方向性が出てきた。
この写真の事例では、居間とキッチンの2面に開放した
このようなコーナーを造作して、装置的な勉強場所とした。
デスクは居間側に対面し、キッチン側からは横顔が見える。
たしかに勉強では、適度なコミュニケーションが大きな助力になる。
学校では押しなべて「教師が対面する」形式を取っている。
自習よりも効率が高いからそうしていることは明らか。
こうした間取り形式では、集団的テレビ鑑賞は自制されるかも知れない。
子どもに学習を強いている同じ時空間で、親だからと言って
好き勝手な自由時間は謳歌できないだろう。
さてこういった形式が、効果的かどうか、
また、あらたな問題点を生み出しはしないか、
興味深く、ニッポン人の変化を注視していきたいと思います。
Posted on 3月 12th, 2018 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅マーケティング
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