Replan関西版を発刊するようになって、地域の成り立ちについて
基礎的な理解を深めたいと思い、考古や歴史、博物を探訪しています。
日本列島というのは温暖化や寒冷化、さらに火山活動などによって
大きく地形が変化してきた地域だと言われます。
その地形変化の上にさらにコメ農耕社会がアジア世界から集団移住してきて
盛んに地形改造を行ってきたのが日本史の基調だろうと思います。
大規模な地形改造は大きな農産物生産向上に資するワケで
そういう大規模土木工事を起こさせる力、権力集中が国家を生んだことは、
あきらかだと思っています。
後の世ですが、関西地域に比べて開発の遅れた関東地域は
すでに文字記録などが発達した時代にこうした開発が行われたので、
比較的容易にこうした経緯と歴史事実に連関が認められやすい。
しかし、関西は日本にまだ文字記録体系が一般化する以前に
こうした基盤的開拓行為が行われたので、痕跡をたどる必要がある。
どうして古代世界であれほどに「古墳」が営まれたのか、
推定ですがやはり権力者の死という動機が与った公共事業に関わっての
部分が大きかっただろうと想像を巡らせています。
地形改造、具体的にはコメ農地、田んぼをたくさん作るに際して
権力的な強制力を巨大な労働力を持って投入した結果、
大量の残土が生成された。
それを使って、権力者である大王の墳丘となした。
権力と権力者の死に際してそれをもっとも効果的に活用した結果、
あのように古墳は大量生産されたのではないか。
少なくとも初源的動機はそのようだったのではと思っています。
その想像を膨らませていくためには、
古代地形のありようやその背景的地域分析が不可欠。
そんな思いを持って「大阪歴史博物館」を見学していて
写真のような資料にめぐり会うことができました。
「河内湖」といういまは存在しない湖沼が大阪中心部にはあった。
この図をみれば、大阪湾や淀川などとこの河内湖は
船での交通で連絡されていたことが容易に頭に浮かんでくる。
タモリさんではありませんが(笑)、こういうブラタモリ理解は
さまざまな想像力を刺激してくれます。ふ〜〜む。
Posted on 2月 7th, 2018 by 三木 奎吾
Filed under: 歴史探訪
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