一昨日、高齢になってきた義理の母の誕生会をした。
ことしで89才になっている。
同居家族もいて、できるかぎり家事も自分でしたりもする。
高齢なりに悩みもあるけれど、健康面はおおむね良好。
しかし最近、意識がややしっかりしなくて、カミさんに愁訴してくることがある。
そんなことなので、先日参観してきた「運慶展」の図録を持っていった。
義母は教師をしていた経験もあり、知的興味関心は強い。
ただ、ふつうの文字を読むカタチでの読書は、
そういう興味の持続力は衰えざるを得ないだろうから、
より即物的な写真映像の迫力、その芸術的訴求力のほうが効果的ではと思った。
で、3,000円で購入してきた図録を「見聞かせ」してみた。
さすがに東京国立博物館の「展示会図録」なので、
被写体作品はそれこそほとんどが国宝級レベルであり、
しかもその撮影写真も当代一流のカメラマンが技術をそそいだ一流品。
それらの写真だけでも数百点にも及び、
表現力、訴求力はまさに現代ニッポンの粋と言って過言ではない。
そういった「素材」を使って、彼女の知的好奇心に徹底的に訴求してみた。
運慶さんの生きた時代を適時、説明に入れ込んだり、
知りうる作品群の情報の数々を話し込んでみた。
そうしたら、徐々に彼女の目に力が籠もってきたように感じられた。
一枚一枚、丹念に写真に見入って、感動する様子が伝わってくる。
やがて、いろいろな「質問」を投げかけてくる。
やや聴力にも衰えが見られるので、声を大きくして話してあげる。
そんな会話をしながら、民族の誇る才能である運慶さんの力を実感する。
丹念に、力強く造形された作品群の訴求力は、
やはりわたしたち日本人には、強烈な同質性で迫ってくるものがある。
美しいモノを美しいと、かわいいものをかわいいと感じる感受力。
時代をはるかに超えるその日本人的なるものが、共感力で迫ってくる。
そんな気分を義理の母と共有することができた気がした。
高齢化時代、なにかを強く感じながら生きるということが、
だんだんと求められてくるように思います。
人間にはこころというものがあり、その健康性が不可欠。
そのとき、知的好奇心を高めるような表現が求められていく気がする。
民族の宝と言える芸術作品群には、そういう力があると思う。
あえて3,000円という金額を書いた。
しかしこの金額には、まことに価値があるというリスペクトの思いがある。
さすがに民主国家・ニッポンだといつも感動しているのです(笑)。
ビジネスの視点から考えてみるとき、いつもこの「廉価」ぶりに驚愕する。
この「運慶展」は先日、20万人を突破したと報道されていた。
そのうちの10%のひとたちがこの図録を購入したとして、
20,000×3,000円=60,000,000円。
たぶん撮影料とか、素材の搬入費用などは国立博物館事業として
国費が投入されることでしょうから、編集し企画構成し、印刷管理する
そういったプロセスのビジネスなのだろうと思います。
こういう国費投入には大いに賛成したい。
民族の共有資産としての芸術の価値はまことに稀有なものだと思います。
わたしはそういう仕事なので、受託主体をチェックしているのですが(笑)
ほとんど主要マスコミメディアが受注している。今回の運慶展は朝日新聞社。
その報道傾向には異論もある新聞社ですが(笑)、この図録は
すばらしい仕事だったと思います。率直にいい本でした。ありがとう!
Posted on 11月 5th, 2017 by 三木 奎吾
Filed under: 日本社会・文化研究
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