写真はことし訪問してきた古民家の中でも
ひときわひしひしと臨場感を感じていた播州福崎の「三木家住宅」の様子。
遠い縁戚とおぼしき家系の住宅でしたが、
おかげさまで福崎の町の公的管理になっている建物です。
まぁ、勝手に縁があるというように思っているだけなのですが、
印象はやはり独特であり、強く際だっている。
300数十年以前の建築と言うことで、ことし本屋部分の保存修理作業が終わって、
ようやく一般公開されるようになった。
上の写真は紹介パンフレットからの転写で、
同じ建物内での方向で、軸組構造に還元された様子と仕上げられた様子。
こういった軸組の様子はいつも見ていますが、
現代の断熱気密化された状況で見ることが多いので、
たまにこういった素地の軸組だけをみると、その素寒貧さに驚かされる。
300年間、そう大きな腐朽もなく残ってきたのは、
建築時の素性の良さを感じさせてくれます。
よく、軸組の段階を確認される建て主さんが、その美しさに打たれて
「このままにして欲しい」というような気分になることがあると聞かされる(笑)。
だいたいが男性だそうです。
意志的で簡素な構造が、なにか心象を揺さぶる部分があるように思います。
わたし自身も、小学校のころに家の新築工事の機会があって、
毎日、学校の帰り道、仮住まいの方の家に帰る前に、
こんな骨組みの様子を見学することが無性に楽しかったことを思い出します。
すっかり大工さんとも仲良くなったのですが、
その大工さんの「道具」を見させてもらっていて、ふと触れた途端に
雷鳴のような大工さんの声がとどろき渡って、
「さわったらダメだ!絶対!」と譴責された記憶がある。
軸組にはどうもそんな記憶が刷り込まれていて、
自然に折り目を意識するような気分が起こってくる。
そのときの大工さんに、いまだに尊敬の念を持ち続けている自分がいます。
叱ってくれて、ほんとうにありがたかったと、繰り返し思い続けています。
こういう軸組の隙の無さに比較して、
塗り壁下地の「木舞」部分は雑駁なおおらかさを感じさせられる。
この福崎三木家では一般的な竹小舞ではなく、
雑木のサクラや樫などで組み上げられているということ。
その樹木なりに婉曲した構造の様子が、
不思議と深く、印象にも残るように思います。木組みの様子って、
どこか森を歩いているような心象・気分が包んでくれるのかも知れませんね。
わたしは、こういう様子に強く惹かれるタイプであります。
Posted on 11月 6th, 2017 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅取材&ウラ話, 古民家シリーズ
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