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【ひとが暮らす 街や地域の「環境」評価】

住宅のことが結局ライフテーマのようになって、
毎日情報発信もしているけれど、だんだんと、街や地域という
「まゆ」のような空間性について興味が深まってくる。

住宅は必ず「その場所」に建てられる。
なのでそもそも人間は住宅よりも前に、場所を選定している。
そのことの決定要因や誘因など、さまざまなファクターがそこに存在する。
有能な設計者は、まずは「土地を読む」という。
そこにある先験的条件から「最適解」を導き出すのが家づくりの核心だと。
世界的にも歴史的にも、住宅の選択というのは、
おおむね先験的条件の方がより大きかったのが、普遍真理ではないか。
アメリカでは住宅取得はおおむね建て売り住宅が一般的で
ユーザーは現状有姿を確認した上で、購入するとされる。
なによりも集合形態としての街での生活仕様そのものを選択している。
その大きな選択の範囲の中で、個別の「好み」程度が
個別対応として用意されているに過ぎない。
こういう場合、住み手としては「街と家」の両方を一気に選択できる。
デベロッパーというのが、住宅選択の主要な選択肢になる。
どういう考え方で人間のくらしようを考えているのか、
比較的に明瞭なカタチでユーザーが購入することができる。

それに対して日本は、この「街と家」の選択が分かれている方が一般的。
同じ「戸建て」の住宅政策だけれど、「建て売り」と「注文」の違いか。
アメリカの場合には、高々数百年単位の歴史しかないから、
また、交通の発展以降に国が発展したから、
この「土地の条件」というのが違いすぎるのでしょう。
歴史のプロセスが濃厚に残り続けている社会としては
中国以上に単一的国土空間意識があるこの国では、
この「土地の環境要因」というものの価値が必然的に高まらざるを得ない。
たぶん、物理的環境性能という意味ではなく、
より文化性の割合が大きい「環境」要因を深く考えなければならない。
建築家の西方里見さんからよく、
日本の現代住宅の建築文化的祖形は江戸期の中下級武家住宅だ、
というようにいわれることがあります。
たぶん、生産手段とは直結せず、サラリーで暮らしている、
主人は「奉公」していて日中は留守であるという物理的生活特性は似つかわしい。
でも、生活文化として現代住宅との連続性はどうだろうか。

う〜む、きょうはまったくまとまらないテーマですね(笑)。
都市の個性というか、暮らしのまゆとしての評価軸を考えたいという趣旨でしたが、
ブログで書くには領域が広すぎ、テーマの整理もできなかった(泣)。
さて、あしたは北大で学生さん相手に「講義」して、
その後、学生さんたちとディスカッションまでさせられます。
いろいろプレゼンデータを作成していて、浮かんできた想念でした。
また今度まとめるべく挑戦します。まとまらない点をはお許しください。

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