いまわたしは関西に深く潜行しておりまして、あと数日はこちら。
さすがに日曜日はご迷惑になるので、いろいろ仕事活動はできませんでした。
で、かねて念願であった表題の古民家・三木家住宅を探訪していました。
この福崎の三木家さんというのは、わが家の家系伝承で秀吉の頃の時代に
枝分かれした遠縁の親族のようなのであります。
こちらの建物は平成22年から修復工事が行われてきて、
今年春になってようやく主屋部分が完成を見て一般公開されはじめた。
これまでも関西・瀬戸内を訪れる度に数回、工事中を訪ねてきています。
一度など、出雲大社から高速で神戸空港まで帰るレンタカー運転中、
みるみる急激にガソリンが切れてきて、大あわてで中国自動車道を下りて
GSに立ち寄ったら、なんとそこは「福崎」で、この三木家住宅の裏手(!)。
さらに一昨年もここを訪問しないで神戸空港から帰ろうとしたら、
高速道路でまさかのパンク事故になってしまった。
「せっかく近くまで来ているのに、なんだ、
どうしてウチに寄っていかないんだ」とご先祖さまから言われているかのよう。
どう考えても、縁が深いのではないかと思われてならないのです(笑)。
そんな三木家住宅、今回WEBで調べてみたら、
無事に修復工事が一段落して、主屋が公開されているとの情報。
さっそく謹んで取材させていただいた次第。
この建物は兵庫県の「指定重要有形文化財」になっていて、
公費や募金などで工事費を捻出して保存工事が行われたということ。
結果として、県の調査でこの建物は1705年の創建と判明。
桁行11間、梁間4間という主屋ほか9棟の建築群の「住宅」です。
約300年という年代が刻まれた住宅ですが、
その間、この地域が生んだ日本民俗学の祖、柳田国男さんが、
三木家住宅に保存されていた4000冊の蔵書を1年間にわたって耽読して
かれの民俗学の素地を形成したという経緯、事実もある。
「・・・土蔵風の建物の2階八畳には多くの蔵書があった。わたしは子供のことだから
自由に蔵書のあるところへ出入りして本を読むことができた。(中略)
わたしの雑学風の基礎は、この1年ばかりの間に形作られたように思う。」
<柳田国男「故郷七十年(幼時の読書)」より抜粋。>
と書かれていて、そのことの恩義を語られています。
まことに先人たちの息づかいが迫ってくるような「住宅」取材であります。
日本のある部分の発展にとってわが三木家も多少なりとも繋がっている、
そんな思いがして、感無量の部分があるのですが、
まぁ、この建物が建った頃には、現在の広島県尾道周辺にわたしの直接家系は
移転しているので、他人ではないけれどまことに遠い親戚のお話。
ただ、今回の取材でわが家の位牌にも名前が出てくる同名人物を発見した。
それも生存年代がきわめて近接しているし、人生素描も輪廓に相似がある。
尾道周辺とこの福崎は、距離では約180kmほど。
ただし、瀬戸内の海運とこの地周辺の夢前川水運を利用すれば、数日の距離。
播州大庄屋と、方や尾道商家、なんらかの人的交流はあったとも考えられる。
いや、商品の売り買いなどで当然、血縁を頼ったりもしたのではないか。
・・・っていうような、住宅取材なのか先祖探訪なのか、
どちらともいえない、不思議な興奮に包まれた一時を過ごしておりました。
Posted on 10月 2nd, 2017 by 三木 奎吾
Filed under: 古民家シリーズ
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