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【土壁と高断熱、壁構造からみえてくるもの】

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日本の木造技術の歴史に対して大きなリスペクトを持っています。
古民家や古建築を見るときには、やや背筋が伸びる思い。
わたしたちの先人が苦闘してきたその叡智が、
こういった土壁の構造には凝縮されているのだと思っています。
ひるがえって、現代の北海道が発祥になって生み出されてきた
高断熱高気密技術の合目的性もまた、
柱と梁で建築を構成するというトラディショナルな工法のままに
現代世界最前線の建築工法として生き延びさせてきたものとして
きわめて誇らしいと考えています。

筑波大学名誉教授の安藤邦廣先生から、
竹小舞+土塗り壁という壁の工法は、応仁の乱をはじめとする
戦乱の状況、絶え間ない破壊と焼失という木材資源の乱獲状況のなかで、
「手間はかかるが、より省資源の工法として」生み出されたと教えられました。
それまでの板倉のような工法では壁に大量の木材が入れ込まれたが、
それに対して土壁では、東アジア米作地域には
ほぼ無尽蔵に自然繁茂している竹と、植物繊維で下地を作って
これもまったく無尽蔵である土を塗り固める工法が採用された。
これで壁造作の資源量が大幅に削減されたとされていました。
ただ、その分だけ壁造作には人手がかかったけれど、
それは戦乱の結果、流動化が促進された労働力があったとのこと。
この壁造作は素人でも可能な技術だったので一気に普及したのでしょう。
それまでの竪穴に比べれば、はるかに「文化的」な住宅が土壁住宅だった。
やはり木材資源の乱伐が極限まで至っていたとも言われます。
今、日本の山・森林資源はそれほど利用されず豊かな緑をみせているけれど、
歴史的には日本の山々は、むしろ禿げ山っぽい風景を見せていた。
応仁以来戦乱によって木材需要が盛り上がった京都北山には
30年で成木になる杉がさかんに植林され「北山杉」になった。
土壁の一変種と言える数寄屋、その極例ともいえる茶室建築では
山に植林する際に発生する間引き材、ごくほっそりとしたそれを
これ見よがしに構造材として利用して、簡素の美、文化にまで昇華させた。
土壁工法には、そういった民族歴史的経緯があるという。
結局は日本人の「省資源」の知恵が生み出した工法。

一方で現代のわれわれが生み出してきた「高断熱高気密工法」。
こちらは、暮らしようの大変化のなかで家の中で消費せざるを得ない
「エネルギー」を抑え込む基本要素技術として大発展した。
応仁の乱の頃には、資源が枯渇する一方、地方の農業生産・開発が進み、
人口もそれにつれて伸張期にあたっていたから、
多手間型の住宅生産システム技術が発展したけれど、
わたしたちの時代ではやはり条件が違うのだと思う。
国土の森林はたしかに未利用で放置されているけれど、
他の産業生産力が飛躍的に発展増大し、人手不足が大きな問題になっている。
そしてCO2の地球的極限状況が迫ってきているなかで、
エネルギーの極小化が、最重要発展要請として時代が希求している。
手間をも省力化させた「省エネ」な工法へと変化してきている。
明治の時代には弱肉強食の帝国主義争闘の世界の中で
生き延びていく方向として、富国強兵があったけれど、
今の時代はたぶん、この省エネ・省CO2が人類緊喫の課題だろうと思う。
ただ、このテーマには明瞭な生き方・目標が見えて来づらい。
どうもそんな気分の中にいまあるように思われます。
手業の感じられる土壁に比較すると、ややのっぺりとした印象の
現代住宅の壁構造に、そんな思いを感じております。

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