先日の「復興建築ツアー」の途中で、お昼を石巻でとなったので、
その自由時間に、今回の震災ではじめてその存在を知った
石ノ森マンガ館、いや、石ノ森萬画館に見学に行ってきました。
石巻を代表するスポットとして著名だったそうですが、
その昔のマンガ少年でありながら、こういった施設があることを知らなかった。
で、震災後、その被災の状況と復活に向けての歩みが
ある種、シンボリックに語られるようになって、
遅まきながら、一度は訪問してみたいと思っていた次第。
そういった震災の被災状況、復活状況は場内でもパネル展示で
開示されていましたので、多くのみなさんの興味が集まっていたようです。
周辺の石巻中心街区は、いまだ復興の明確な方向性は見えていないように
見学者としては、感じられました。
これは多くの被災地域がそうであったように、
そもそも震災前からシャッター街化が進行していたので
「再生」させる方向性の探究は、きわめて難しいテーマだと思われます。
実際、中心商店街のアーケードも津波被害の状況のままに放置されていて、
「今後、どうするか」というテーマが見出しにくかった。
で、それとは別に、
その昔の少年の頃、石ノ森章太郎さんは、
手塚マンガに続こうとした第1世代のマンガ少年たちの中心的存在だった。
赤塚不二夫や、藤子不二雄といった、地方からの上京少年たちが
トキワ荘という木造アパートに集結して、
盛んにマンガ文化の成長発展期を形成していた。
そういった様子に、そこからさらに後続していたわたしたちの年代が
はるかに地方から、そうした様子をまぶしく見ていた。
友人たちの中には、そのマンガ文化に身を投ずるものも出たりしていた。
そんなわけで、石森章太郎さんは、わたしにはごく身近な存在であるのです。
当時、「ガロ」と並んでマンガ少年たちの憧れであった、
「COM」というマンガ雑誌に掲載された、石森さんの
「龍神沼」の原画が、回遊動線の通路に展示されていた。
その白紙にインクで彩られた世界から、十代の少年期そのものが
赤々と、フットライトに浮かび上がってくるように感じられた。
なんとも、気恥ずかしいような思いに打たれる。
お昼時に来たので、時間もあんまりない。
それにこういう生々しい少年期の記憶をえぐられるような時間は
ちょっと重たすぎることもあって、早々にランチを摂ることにした。
そうしたら石森さんがトキワ荘で食べていたランチ、というメニューがあった。
やっぱりかよと、そのほろ苦さにまたやられる(笑)。
チキンラーメンとライスという定番メニューであります。
そのあまりの偏った栄養バランス食にへきえきしながら、
さらに麺のあまりの固さにも辛さを味わわせて貰いながら、
苦い少年期の追想に、どっぷりとハマらせていただきました(笑)。
今度また来るよ、あばよ、であります。
Posted on 3月 3rd, 2016 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅取材&ウラ話
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