先日の丸谷博男さんの講演からの気付きで、
日本建築と、森林・木材利用の状況についての歴史的な論及がありました。
こういった「分野」というのは、どういう研究領域になるのか、
まだ未解明な分野ではないのかと思われた次第です。
日本では建築材料というのは歴史的に圧倒的に木材が使われてきた。
その材料になった木材の流通や、森林資源の状況について
歴史的にそれがどういった状況であったかを解明する分野ですね。
司馬遼太郎さんの文章で一度、
日本では大型建築と、華奢な建築とで建築文化が交互に
あらわれてくるようになっているとされて、
それは、伐採・製材加工して利用可能な地理範囲の原材料が
あるいは豊富に取れたり、一転して枯渇してしまったり、を
繰り返した結果ではないのか、と書かれていたのを読んでいました。
たしかにそれは歴史的に符合していて、
日本史では、奈良時代に木造大型建築の最盛期が一度あったが、
その後、戦国末期まで大型より美しさの方に建築の興味が移っていた。
それは森林資源を使い切って、やむなく
そういう方向に建築の志向が向かったのではないか、
とされていた記述があったのですね。
なるほど、と手を打ってその慧眼に目を見張った記憶があります。
ただ、司馬遼太郎さんは文学者であり、科学的な立場からの
こういった問題での興味・追及というのは不勉強で目にしていない。
その後、筑波大学を退官された安藤邦廣先生の講演で
戦国の大量森林資源破壊から、
京都の街再建の気運が盛り上がった当時、地理的利用可能範囲内で
建材利用できる森林資源が枯渇してしまっていた。
そこで京都町衆は、北山に森林を植林していったが、その樹種として
杉を選んだ。それは杉が短期間、30年ほどで利用可能な径にまで
成長する木材だったことによる、と論及されていました。
いわゆる北山杉の初源と言うことですね。
その植林の過程で、間引きして得られる小径木利用について
天才たる千利休は、草庵茶室を考案し積極的に利用デザインを考えた。
いわば「応急仮設住宅・戦国版」こそが京町家の原型だとされた
講演を聞いて、そうした材と建築の関係に思いを深くした次第です。
その後の、江戸の繰り返された大火と、
そこで財を成したという紀伊国屋文左衛門の故事などもあって
この基底的な事情からの分析は、非常に強い興味があります。
通史的なこの分野での研究を勉強したいと希求している次第です。
う〜〜む。
Posted on 2月 9th, 2016 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅取材&ウラ話
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