さて、家族と言葉が、人類社会の安全保障に関わって発生して以降、
同時に「分配」の概念も、初源的に現れたとされています。
人類がその生命維持の基本である「食」の問題について
いろいろな慣習を生み出していって、その安定的な分配を実現してきたとされる。
アフリカなどの熱帯地帯にだけ暮らしていた時代には
狩猟は基本的には小集団で行われ、その獲物はその小集団だけでは
食べきれないほどの量であった。
それを持参して帰り着く小社会内で、
社会規範・ルールとして、過剰なまでに相互に互酬しあう文化配慮が、
現代でも狩猟生活を営んでいる部族などには共通してみられるという。
同じ類人猿社会を構成しているチンパンジーなどでも、食料分配には、
その社会での個体間の優劣関係を超えた互酬の関係が普遍的だそうです。
その後の人類社会が、なぜ「交易」に向かうのか、を含めて
こうした類的社会ルールというものが、ほかの霊長類との進化的差別化で
大きく働いてきた実態が垣間見えてくる。
だからわたしたちは、類的に数を増やしてくることができたのだと。
で、ある時期から人類は熱帯だけではなく、
冬の季節を持つ、温帯地帯にも領域を広げていく。
他の動物種と決定的に違いが発生してくるのは、
このような「社会ルール」という習慣的知性が発展していったことが
どうやら「進化上」の最大要因だったようなのですね。
直立歩行し、火を絶やさない技術方法を体得し、
棒や石で武装したサルは、家族と食料分配の社会システムを持ち、
言語を発展させることで、他の動物種を凌駕する進化の基本因子を獲得した。
けっして機能的な身体進化ではない部分で、進化したのだと。
このような進化は、400〜500万年に渡って繰り広げられ、
その最先端種として、現生人類が5万年前に
アフリカを出て世界各地に進出する、グレートジャーニーをはじめた。
そして、3万年前ころに東アジアの弧状の海岸地域に到達し、
気候の温暖化によって照葉樹林たるブナの森が海浜近くにまで広がる
生息環境の中で、1万3千年前頃から、この地に定住をはじめた。
そして漁撈を大きな食料調達手段として、
ブナの森が供給する多様な食材とを「鍋料理」のように食する習慣を持った
縄文文化を生成させていった。
土器の生産において、日本列島社会は最先端的な地域だったようです。
この時代には、いわゆる食料調達の作業に費やす時間は
おおむね4時間だったと推定されています。
男性は漁撈や狩猟、女性は木の実などの植物採集。
さらに他の集落との「分配」である「交易」も丸木舟などの
移動手段によって広範に維持・確保されていた。
土器の製造は、写真のように女性による家族労働の結果であったのでしょうか?
定住が人類の「高齢化」を生み、同時に「生活文化」の揺りかごになった様子が
このジオラマからは伝わってくるものがあります。
それにしても、縄文の「火炎土器」って、どうして作られたのか、
その動機と、それが果たす機能性など、
謎の非常に多いものをわたしたちの祖先の人たちは残してくれています。
あの火炎や、文様は、一種の文字に至るプロセス生成物なのか、
まことに豊穣な想像力を掻き立てられる。
しかも、手作りのその一品一品からは、
高い芸術性も訴えかけてくると思って見続けております。
Posted on 9月 1st, 2015 by 三木 奎吾
Filed under: 日本社会・文化研究, 歴史探訪
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