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わたしの1枚の絵 「ピエロ」

2029

本日はふとした絵画についての随想であります。

わたしは多感な(笑)高校生時代に、
いま、考えるとふしぎな思い込みをしたり、行動を取ったりしていました。
そしてそのひとつの思い込みの結果、
パリに行って、その念願を果たしていました。
というのは、「ピエロの絵を1枚持つこと」でした。
少年時代になぜそんな妄想に似た思いを持ったのか、
いまは、どうしても思い出すことが出来なくなっています。
可能性として考えられるのは、情緒的に「新左翼」にかぶれていたので、
あの当時の高名なフランスの哲学者、
たぶん、サルトルやボーボワール、カミュなどの書いた文章の一節
なかでも、もっとも可能性が高いと想像しているのは、
惑溺的に読んでいたアンリ・ルフェーブル「美学入門」などに
「ひとは、ピエロの絵を1枚は持っているべきだ」みたいな言葉を見つけて
たまたま巡ってきたヨーロッパ旅行の機会に
それを実行したものかも知れません。
で、そういうことなので、絵画に対して本質的に知る由もなく
「モンマルトルで絵を売っている貧乏な絵描きから購入する」
という、一種の固定観念を持って、
この絵を、そのようなプロセスで購入したのです。
旅行後、東アジアの片隅の高校生のあやしげな英語と、
彼の地のフランス人の不確かであるに違いない英会話取引きの結果が、
本当に箱入りで国際小包で送られてきたのを見たときには
ある格別な思いを成就させた気分を持っていました(笑)。
それ以来、45年以上にわたっての人生で
この絵は、わたしと常に同伴してきた次第です。

人が絵を持つと言うことに、それほどの意味はないでしょうが、
それなりにわたしは愛着を持って、見続けてきたと思っています。
なんですが、子どもたちは、
わたしの持つこの絵があんまり気に入ってはいないみたいです(笑)。
坊主に至っては、どうやら「ピエロ恐怖症」っぽい。
まぁ、病理にまでは至っていないようですが、
気分としては、ピエロに対して違和感を持っているようです。
ピエロ恐怖症っていうのは、わたしも最近知ったのですが、
ピエロという存在自体が発生した2000年以上の歴史過程で
常にあったものではあるでしょうが、
最近の精神病理学の発展の結果、病理として認定されたモノでしょう。
なので、こうした趣味嗜好が子どもに受容されてはいかないようで、
この絵は、わたしの人生終了とともに廃棄されるのが自然の流れ。
でも、モンマルトルの丘でのあやしげな取引は
いま考えても面白いなと思うし、よく裏切ることなく
梱包して送ってきてくれたものだと、
この絵の作者であり販売者であった「Julia」と署名のあるひとに対して、
感謝の気持ちは、いまも変わらずに持ち続けています。

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