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お盆に般若心経を忘れる・・・

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本日はお盆の入り。
たぶん、日本中であちこちと移動している人が多いでしょうね。
札幌の街でも、朝から市内移動の高速道路は
けっこうな渋滞が発生するようになって来ています。
札幌では、公営の墓地として「里塚霊園」という集約的な墓地があり、
そこに向かって毎年、渋滞するようになっています。
で、里塚にはカミさんの実家もあり、その霊園に関係する3つの墓もあるので
いっぺんに盆の入りの日、それも朝早く5時には家を出て
いったん、カミさんの実家に寄ってクルマに同乗して行くのが年中行事。
で、何人か、ことしは合計4人で墓参するのですが
そのときにはわたしが僧侶代わりに読経いたします。
とはいっても唱名できるのは般若心経だけなんですが、
このお経はどんな宗派でもオッケーという便利さなので、
たいてい、どんな家に行ってもわたしは重宝されます(笑)。
で、本日も読経を始めたのですが、
1軒目で、ややや、と途中がどうも怪しくなり、
2軒目では、止まってしまった。やむなく途中から憶えている読経だけした。
で3軒目、わが家、父母の眠っている墓で、ついに記憶が繋がらなくなった。
やむなく、これも、途中を飛ばさざるを得なくなった。
むむむ、ダメであります。
暗記していることと言うのは、そうは忘れないものとタカをくくっていて
その曖昧さを咎められたような心境であります。
と、同時に老化という現実と、否応なく向き合う必要に迫られる感じ。

カミさんからはスマホにダウンロードしておけば良いとか、
そうだ、インターネットに読経があるんじゃないか、とか、
あれこれ後部座席でやり出したわけですが
当人は、それ以上に、もの忘れという現実と心底向き合っておりました。
わたしと般若心経は、いろいろ経緯がありまして、
学生時代に学生運動をやっていた友人からこのお経について
その由来とか、インド哲学とかの話を聞いて
自分でも面白くなって研究というか、調べたりしていたのです。
その流れで、インドの古代叙事詩ラーマーヤナを読破したりして
たいへん興味を持ったのです。
遙かな後年、アップルのジョブズさんがインドでヒッピーしていた
という話を聞いて、そういうヤツならパソコンも面白そうだって
アップル製に決めたいきさつもあります(笑)。
そんなことがあって、父親とよもやま話をしていて、般若心経のことになり
諳んじていたので、読み聞かせたあと、その解説まで父にしたことがある。
父は、それがヒッピーたちに受けていることなんだは知らずに
大喜びして「そうか、お前はそう見えて勉強しているんだ」と
勘違いながら、ニコニコしていた。まぁ、誤解ですが
なにかと都合は悪くないので、わたしもニコニコしていた(笑)。
で、父母を20代末、30代はじめに亡くしてから
家族の中で、ずっとわたしはエセ僧侶役を担ってきたのであります。
そのわたしが・・・、
ついに、化けの皮が剥がれてしまった(笑)。

本日より、記憶力の低下を受け入れて
スマホに般若心経を常時入れておいて、不安箇所をしっかり確認しながら
エセ僧侶を、なんとかこなしていくことにします。
合掌。

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