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オリンピック首都改造

1807

写真は品川地区再開発の予測図から抜粋。
2020年の東京オリンピック開催に向けて
東京の都市改造が大きく進みそうだ。
そのなかでも、この品川周辺の改造は、今後の日本の都市計画での
大きなランドマークになることだと思う。
というか、日本の経済発展を考えていくときに、
この東京改造は、その持っている意味がきわめて大きい。

東京という都市は、
縄文からの10000年スパンで考えるという中沢新一さんのような思想も出て
そのおもしろさが際だってきていると思う。
現代世界の中でも、そのメリーゴーランド性はとりわけ突出している。
日本の歴史を考えてみても、
畿内地域に成立したヤマト王権、その後継国家である「日本」とは、
関東地域はかなり違った歴史を刻んできた。
ハッキリ言えば、本来日本列島地域には、ヤマト国家と、関東国家、
さらに東北国家、南西地域国家、琉球国家、アイヌ国家などの
大きく分けて6つの国家が並立するような地域だったように思います。
そのなかでも、基本はヤマト国家と関東国家が基本的には相対峙しあう
そういった関係性が保たれてきたのではないか。
古代国家による東北征服戦争からの変転推移による奥州藤原政権という
事実上の独立権力の樹立が、関東の自主独立気運を高め
主に南西地域を基盤とした平氏政権末期の混乱期に乗じて
鎌倉独立政権が発足したといえる。
であるからこそ、この鎌倉政権は、抜けがたく
平将門の反乱への追憶を政権基盤として持っていた。
たぶん、そういった列島権力史というようなものが、
もう少し研究されていっても良いのではないか。
今現在は、南西地域に基盤を持った権力が天皇制を乗っ取る形で
権力を握ったあと、世界の趨勢であった「国民国家・民族国家」を成立させ
はじめて列島社会に均質な権力を樹立した段階だと思う。
関東国家地域の方が江戸時代以来、対アメリカを中心とする世界関係において
畿内地域よりもはるかに利便性と合理性が高かったから
国民国家は、関東地域を征服するかたちで成立した。
こんな脈絡の中で、やはり今後も日本の首都圏は
東京地域に置かれている方が合理的なのだと思う。
たしかに震災被害などを考えれば危険性は高いけれど、
どこであっても五十歩百歩という災害列島であれば、
利便性では、やはり東京がいちばんいいのだろうと思う。
そういった大きな流れは間違いがない方向なのではないか。
そのなかで、地方地域はどのように生き残り繁栄策を構築すべきなのか
じっくり考えていかなければなりませんね。

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