最近、小さい建築について興味があります。
大きいことはいいことだのアメリカでも、小さな空間について
その可能性を探りたいという流れがあるそうですが、
「ウサギ小屋」という日本の新聞メディアが大好きだった
自虐的な住文化否定の戦後の大きな流れに対して、
見直しの気運が生まれてきているように思う次第。
写真は、先日訪れた武部建設・武部英治さんの「日日庵」であります。
きのうまである会合で会っていたので、
この建物について聞き取りすることができました。
それでもしっかりと聞き取るというような「取材」にはなっていないので、
情報は断片的。
面積自体、大体1坪かなぁ、という「あてずっぽう」だったのですが、
よく聞いてみたら、「おおむね210cm角」ということ。
7尺角の四角形平面なんだそうです。
ですから1坪180cm角よりも一回り大きい寸法。
お酒がすぐに入ってしまったので、建物内部には入っていない。
けれど、その周囲の下屋的な青天井に仮設的な屋根だけをかけた土間空間が
建物の空間的集中感と対比的で内部とのバランスが楽しい。
冬の北海道でも、この内部ならば籠もっても大丈夫感が感じられる。
寸法の感覚は、過不足ない、という言葉そのまんま。
内部はそれでいい、という思い切りの良さが伝わってきます。
で、これも最近金沢の21世紀美術館に行ってきたときに
たまたま見掛けた「中村好文さんの小屋」です。
こっちも、たまたま遭遇したということで、
ほとんど予備知識はなく、また調べたりもしていません。
ただ漫然とみた範囲では、なにやら兼行法師の絵が描かれた説明パネルがあり、
どうも、現代的な「小屋」という概念にこだわった作品のようです。
場所柄もあり、仮設的で「表現」性を高めた作品のようです。
こういった美術館という背景の中で、
現代という時代性の中でなにごとかを表現しようと考えたら、
こういった建築の概念を持ってきたくなるだろうな、という
そういう気分が、そのまんま、建っている印象を持ちました。
この、多くの人が感じていることを形にする、ということは、
「表現者」としての優れた能力だと思います。
すいません、まったくきちんと調べてもいないので
受け取った空間性の印象だけであります。
こちらのほうは、たまたま通りかかったということだったので、
中を体験するには「申込み」をしなければならず、
しかもその日の申込みは打ち切られていたということで、
しかもちょっと建物に不意に触れただけで、
「作品にはさわらないでください」とか注意されるという対応。
たぶん、こういう対応は作者の意志ではないだろうと思われたのですが
まぁ、通りすがりだし、内部体感は諦めました。
難しいですね、建築は使ってなんぼのものであるのに、
それが「芸術作品」となってしまうと、へんてこなことになる。
で、この両方をなんとなく脈絡なく経験したのですが、
どちらにも親近感を抱く次第。
いいじゃないか、これで、
という潔さが、現代人の心底に芽生えつつあることをこのことは
証し立てているのでしょうか?
おっと、どちらも断片的にしか体験・取材していないので、
あんまりうかつには断定しないことにします(笑)。
Posted on 6月 12th, 2014 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅取材&ウラ話
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