先日行ってきた能登半島です。
北海道と東北で仕事をしていて、
関東、東京は非常につながりも強いし、頻繁に、それこそ月に一度以上は行く。
そのほかの地域も、仕事の関係は多少なりとも発生するので
名古屋・中部圏、京阪神地域、さらには、中国九州北部などは、
行く機会がありえる。
実際、2〜3年に一回は訪問しているように思う。
ところが、日本海側、北陸から山陰地方は、ほとんど機会がない。
たぶん、一般的にそういったみなさんが多いのではないでしょうか。
ということで、一度は広く日本建築を見ておきたい希望があって
たまたま谷間のような日程があったので、
念願を果たせました。
とはいっても都合3日間だったのですが、
南は福井県の永平寺から、北は能登半島輪島、東は富山まで、
石川県金沢を拠点に回ってみた次第。
現代でこそ、書いたような交通状況ですが、
しかし北海道には北陸地域の影響はきわめて濃厚。
江戸期、あるいはそれ以前から「北前」交易が活発に展開されていて
経済的には北陸地域とは強い結びつきがある。
なぜか、「北陸銀行」が、北海道では多数店舗を展開しているのです。
北海道の老舗百貨店・丸井今井は、北陸地方の出身。
現代は飛行機とクルマが主要交通手段だけれど
長い日本史では、圧倒的に海運交通が主要交通手段であり、
海も波が穏やかな日本海が、対アジアという「世界交易」も見据えれば、
中心的な位置にあったのですね。
しかも、日本の都は京都であり続けていたので、
その中心地に対しての位置として考えれば、この地域の歴史的重要性も
よく理解出来る。
そういった意味合いがあって、なんとか体感してみたいと思っていたのですね。
北海道に暮らしていると、
金沢も富山も、福井もその位置関係すら明瞭でない。
今回数日を過ごしてみて、
ようやく地理的な把握がしっかりできた。
ただし、大づかみに地理的・歴史的な把握をしたいと思ったので
金沢には3日間いたけれど、都市金沢にはほとんど滞留していません。
主に歴史的建築を駆け巡って、
とくにこの地域が北海道に対してどのように影響をもたらしたのか、
そのあたりを中心的に探ってみた次第です。
まぁ、行ってみたかった地域に、
ひとりで修学旅行に出かけたような気分(笑)。
というようなことなので、やや長くなります。
何回か、場所に焦点を当てて書いてみたいと思います。よろしく。
Posted on 6月 13th, 2014 by 三木 奎吾
Filed under: 歴史探訪
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