日本の歴史の中で金などの希少金属の歴史というのは
かなり決定的な役割を果たしたと思うけれど、
その割りには、それが決定的だったとは論じられていないように思う。
先日、思いがけず鴻之舞の金山遺跡を見学できたのだけれど、
このような希少金属、貨幣、交易や経済活動についての
俯瞰的な解析って、あんまり見る機会がありません。
先日も、中沢新一さんの文章を見ていて
新宿の街の成立に、平泉の金やそれを元手にした商業隆盛が
成立期の機縁として解明されていたのですが、
中沢さんのおじさんにあたる網野善彦さんも、貨幣の初源について
いろいろに論究されています。
これまでの日本史研究には、徳川体制的な土地本位制の概念が
強く刷り込まれていて、こういった貨幣経済論が抜けている。
政治なんて、そのときどきの推移でどうとでも変化するけれど、
経済や生産性は、人間生活に不可欠なこととして
ずっと発展拡大してきた。
経済発展とは、すなわち交易だっただろうと考えるのです。
政治的には、確かに平泉藤原政権は頼朝によって打倒されたけれど
しかし、それが寄って立った経済的基盤は絶対に消えなかっただろうと思う。
たぶんまったく違う形で生き延びてきているに違いないのだ。
鴻之舞の金山跡は
所有者の住友財閥の考え方もあって
「自然に帰す」方針が徹底されているようです。
金という、人間にしか価値のない物質を自然から収奪した以上、
それへの懺悔に近い態度を持って引き際とするのは
それなりに評価すべきだと思います。
そのお話しを聞いたときに、ふと、
平泉藤原政権の最期のありよう、
当主・藤原泰衡によって、平泉都市は灰燼に帰せられた史実を思い起こし、
希少金属鉱山、それによって形成された権力に
似たような引き際だと思い起こしました。
そういうのが日本らしいのかも知れませんね。
Posted on 6月 11th, 2014 by 三木 奎吾
Filed under: 歴史探訪
コメントを投稿
「※誹謗中傷や、悪意のある書き込み、営利目的などのコメントを防ぐために、投稿された全てのコメントは一時的に保留されますのでご了承ください。」
You must be logged in to post a comment.