わたしは神社が好きで、毎朝、近くの北海道神宮に詣らせていただいているほか、
全国を仕事やプライベートで訪れるときも
だいたいは、その土地の尊崇を集めている神社仏閣に詣らせていただくことが多い。
巧まずして、中沢新一さんの「アースダイバー」を実地検証している(笑)。
というのに近いかも知れませんね。
日本人としての心性を深く知りたいというのは
ごく自然な話だと思うのですね。
それを、中沢新一さんはアースダイバーというような変わった言い方をした。
言われていることは、きわめて伝統的な文脈だと思えます。
さて、それはまた別として
最近、神社に参っていて、気付くことがあります。
北海道もようやく暖かくなってきて
今日など、ついに早咲きのサクラは完全に満開、
その他のサクラもほぼ色づきはじめてきております。
が、それまではやはり寒くて
参拝の時に、手水で手を洗うのをつい回避しておりました。
本当は神さまに失礼かも知れませんが、
お許しを請いながら、「北海道は寒いし・・・」などと
ひとりごとの言い訳もつぶやいておりました(笑)。
で、ようやく寒さも和らいできたし、
不精での失礼をお詫びして、ここ1週間くらい前からは
手を水で清めるようにしているのです。
そうしたら、神前での拍手の音に
顕著な違いが出てきたのであります!
手を洗わないで拍手していたときには、
どうにも「パン」という清らかな音が発生せず、
点着が悪くて両手同士が滑ってしまうような感覚。
それが、手を洗うようになると
音が明瞭になってくるから不思議なのであります。
両手がピッタリと接合して、いい音を奏でるようになった。
まぁ、気のせいと言われればそれまでなのですが(笑)、
実感として、きわめて確かな感覚がある次第です。
想像してみるに、適度な手の保湿水分が、
拍手の時の手合わせの瞬間によい影響を与えているのでは、
と思われるのです。
そんな風に考えると、古来からの手水という知恵は、
なかなかに工学的な知見に踏まえていると思います。
こういう実感を持つまでは、「身を清める」というような
どちらかと言えば、精神性に力点のある宗教装置だと思って見ていたのですが、
ちょっと考え直しています。
みなさんも実験してみていただけないでしょうか?
きっとコペルニクス的な発見かも(笑)。
Posted on 5月 1st, 2014 by 三木 奎吾
Filed under: 日本社会・文化研究
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