住宅を住む立場から考えていくと、
その生活シーンの中で、どのように光が取り入れられてくるのか
という要素は、もっとも肝要な要素だと思う。
住宅の歴史で言えば、まさにこのことが最大のテーマだったと思える。
石器時代までは、洞穴住居などが主流だったのだろうけれど、
火が消えてしまえば昼間でも真っ暗闇。
その後、定住的な縄文が始まって竪穴が主流になる。
そこでもしかし、出入り口のわずかな採光があったにすぎない。
そうした竪穴が「在来工法」であったときに、
弥生生産様式社会が列島にもたらされ、より開放的な高床式住居が導入された。
たぶん権力者層は、住居についても竪穴の一般庶民を睥睨するように
高床式建物から、見下ろしていたのではないか。
木造で、たっぷりと木を使う建築様式は、権力・金持ちの象徴だったに違いない。
それが、寝殿作りのような形式に至って、
建具で柱と柱の間をふさぐだけの開放的な木造住居が実現した。
そこでは、建物の四周の壁がなく、すべて解放されていた。
竪穴に比較して圧倒的に冬期の居住性は低かっただろうし
断熱性でいえばチョースカスカ住宅だったけれど、
こと「採光」という面では素晴らしかったのだろうと思う。
生産力が向上してきて
壁を塗り壁などで閉じて構成できるようになって来て
ようやく、壁に自由に穴が、窓が開けられるようになってくる。
利休さんの茶室など、窓が自由に開けられる喜びが感じられる。
しかし一方で、住宅生産の側から、規格化・寸法の調整などの進化が進んで
柱のピッチなどが規格化されるようになり、
その寸法範囲で窓は規定されてきたのだと思う。
いま、現代に至って、規格化の大きな流れはそのままだけれど、
サッシメーカーのCMではないけれど、
窓位置は格段の自由度を獲得している。
そして、四周の壁がないような開放的な建物の寒さの実体験を経て
いわば「明るさへの偏り」という精神病理のようなものも昇華されつつあって、
「必要な場所に、必要なだけ」という窓の開け方が出来るようになって来た。
まぁ、いまだに定型化・規格化の範囲だけで考えるという傾向も抜けがたいけれど。
で、いま、このような自由度の中で
設計者には、あるいは建て主には、窓をどう開けるか、
建物にどのように意図して採光を取り込むか、という問いかけが出てきている。
採光だけではなく、環境性能で言えば、
熱の制御と導入獲得のバランスをどうするか、という問題。
案外、言われないけれど、
現代住宅では、いちばん根源的なことがらであることは間違いがない。
いいバランスの窓の開け方を見ていて、
そんな感慨に陥っていました。
Posted on 12月 11th, 2013 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅性能・設備
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