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【いごこち以上に権力が求めた「安全保障」住宅性能】



きのうご紹介した兵庫県福崎の「三木家住宅」続報です。
たっぷりと「取材」したので、いろいろなテーマが見えていました。
ふだんの住宅取材では気付かないような側面についても気付きが得られた。
それはたぶん、他人とは思えない建て主への思いが強く
普通はスルーするような点にもセンサーが働くのかも知れません。

そういう気付きの中のひとつが、住まいの「防犯」というか、
政治軍事的「安全保障」に関するポイントであります。
この家は江戸期の藩の「大庄屋」の邸宅であるワケです。
当時の社会にあっては、こういった階級的存在は経済運営の中核的権力。
経済に関する権力装置なので、一般庶民との接点が多く、
基本的には一般に「開かれた」関係性をもって構造されている。
ところが、経済的政治的危機が進行すると、
「打ち毀し」などの民衆反乱の武力対象になりやすい。
被支配階級からは悪の権化のようにみなされたり、
不正義な財の集積そのものとみなされることが多いだろうと思われます。
事実この家では、3枚目の写真のように「一揆による刀傷」まである。
この傷は、幕末の混乱さめやらぬ明治初年、全国で発生した一揆のときのもので、
この地方でも起こった「播但一揆」の戦争痕跡だそうです。
そんなことが見えて、平和な現代では普通そう大きなテーマにはならない、
防御性能、安全保障性能というものに気付かされた次第。
1枚目の写真はよくある床の間の様子ですが、
この家ではなんと、白壁が「和紙」で造作されている。
この部屋はきわめて公的な性格の強い貴賓室ともいえる場所で、
藩の大名本人が来たときなどに使う「間」なのです。
今日の平和な世とは違って、江戸期という社会は基本的には
権力はその「暴力性」で成立していた時代。
その権力者は常に身の安全を考えていたとされている。
万一、この家に逗留していたときに襲撃者がおそってきたとき、
この和紙の壁を突き破って、避難するルートを確保させる狙いを持っていた。
さらにこの家の他の場所には秘密の地下脱出通路などもあった。
建具などでも巧緻に施錠構造が考えられている(2枚目写真)。
なかなか現代人には想像しにくい役割、機能が住宅の目的にあったことが、
この家ではかなり濃厚に見て取れたのです。

そのように考えてきたとき、
日本の家屋文化発展が長く「いごこち」についての性能配慮をせずに、
ひたすら「開放性」を旨としてきたことについて、
こういった権力構造、支配構造が住宅技術進化に大きく影響したのではと気付いた。
江戸期の「住宅規制・制約」の影響が建築文化にも見えるのは周知のことでもある。
住宅の技術もまた、社会のニーズに即して発展を見せるもの。
家の寒さを「堪え忍んで」までも、身の安全を最優先させていたのかも。
まだ定かとは言えないけれど、このことはあり得べきことではと
ひとり想像を巡らせていた次第です。どうなんでしょうか?

【兵庫県福崎「三木家住宅」を多角的?徹底取材】


いまわたしは関西に深く潜行しておりまして、あと数日はこちら。
さすがに日曜日はご迷惑になるので、いろいろ仕事活動はできませんでした。
で、かねて念願であった表題の古民家・三木家住宅を探訪していました。
この福崎の三木家さんというのは、わが家の家系伝承で秀吉の頃の時代に
枝分かれした遠縁の親族のようなのであります。
こちらの建物は平成22年から修復工事が行われてきて、
今年春になってようやく主屋部分が完成を見て一般公開されはじめた。
これまでも関西・瀬戸内を訪れる度に数回、工事中を訪ねてきています。
一度など、出雲大社から高速で神戸空港まで帰るレンタカー運転中、
みるみる急激にガソリンが切れてきて、大あわてで中国自動車道を下りて
GSに立ち寄ったら、なんとそこは「福崎」で、この三木家住宅の裏手(!)。
さらに一昨年もここを訪問しないで神戸空港から帰ろうとしたら、
高速道路でまさかのパンク事故になってしまった。
「せっかく近くまで来ているのに、なんだ、
どうしてウチに寄っていかないんだ」とご先祖さまから言われているかのよう。
どう考えても、縁が深いのではないかと思われてならないのです(笑)。

そんな三木家住宅、今回WEBで調べてみたら、
無事に修復工事が一段落して、主屋が公開されているとの情報。
さっそく謹んで取材させていただいた次第。
この建物は兵庫県の「指定重要有形文化財」になっていて、
公費や募金などで工事費を捻出して保存工事が行われたということ。
結果として、県の調査でこの建物は1705年の創建と判明。
桁行11間、梁間4間という主屋ほか9棟の建築群の「住宅」です。
約300年という年代が刻まれた住宅ですが、
その間、この地域が生んだ日本民俗学の祖、柳田国男さんが、
三木家住宅に保存されていた4000冊の蔵書を1年間にわたって耽読して
かれの民俗学の素地を形成したという経緯、事実もある。
「・・・土蔵風の建物の2階八畳には多くの蔵書があった。わたしは子供のことだから
自由に蔵書のあるところへ出入りして本を読むことができた。(中略)
わたしの雑学風の基礎は、この1年ばかりの間に形作られたように思う。」
<柳田国男「故郷七十年(幼時の読書)」より抜粋。>
と書かれていて、そのことの恩義を語られています。
まことに先人たちの息づかいが迫ってくるような「住宅」取材であります。
日本のある部分の発展にとってわが三木家も多少なりとも繋がっている、
そんな思いがして、感無量の部分があるのですが、
まぁ、この建物が建った頃には、現在の広島県尾道周辺にわたしの直接家系は
移転しているので、他人ではないけれどまことに遠い親戚のお話。
ただ、今回の取材でわが家の位牌にも名前が出てくる同名人物を発見した。
それも生存年代がきわめて近接しているし、人生素描も輪廓に相似がある。
尾道周辺とこの福崎は、距離では約180kmほど。
ただし、瀬戸内の海運とこの地周辺の夢前川水運を利用すれば、数日の距離。
播州大庄屋と、方や尾道商家、なんらかの人的交流はあったとも考えられる。
いや、商品の売り買いなどで当然、血縁を頼ったりもしたのではないか。
・・・っていうような、住宅取材なのか先祖探訪なのか、
どちらともいえない、不思議な興奮に包まれた一時を過ごしておりました。

【巨万の財のお金の使い方〜横浜三渓園逍遙】



写真はヨコハマで先日見学した「三渓園」の様子です。
ここは開国して世界との「貿易」が始まった時期にいち早くその趨勢に投資して、
絹の貿易で財を形成したという原富太郎さんの趣味のコレクション建築群。
Wikipediaによると以下のような経歴。
略歴〜青木久衛の長男として生まれる。生まれは、岐阜市柳津町佐波。
小学校卒業後、儒学者の野村藤陰や草場船山に学ぶ。その後上京し、
東京専門学校(現・早稲田大学)で政治学・経済学を学び、跡見女学校の教師を務める。
1892年、横浜の豪商・原善三郎の孫・原 屋寿(はら やす)と結婚し、
原家に入る。横浜市を本拠地とし、絹の貿易により富を築いた。
また富岡製糸場を中心とした製糸工場を各地に持ち、製糸家としても知られていた。
1915年に帝国蚕糸の社長、1920年に横浜興信銀行(現在の横浜銀行)の頭取となる。
1923年の関東大震災後には、横浜市復興会、横浜貿易復興会の会長を務め、
私財を投じ復興に尽くした。
美術品の収集家として知られ、小林古径、前田青邨らを援助した。
横浜本牧に三溪園を作り、全国の古建築の建物を移築した。
三溪園は戦前より一部公開されていたが、戦後原家より横浜市に譲られ、
現在は財団法人三溪園保勝会により保存され、一般公開されている。
〜という黎明期・日本資本主義の代表的な存在のようですね。

で、そういう財をなした人物が、ではなにを後世に残すべきか。
結局、その人間の本質が現れざるをえない部分だろうと思います。
この方は、古建築を移築保存するという活動に取り組まれた。
たぶん民族としての共通財産という建築に文化性を見られたのだろうと。
今日でこそ、全国各地に古建築の保存公園みたいなものは多くありますが、
その嚆矢ともいえるような設立理念だったようです。
まぁあまりに広大な敷地と多数の古建築なので、
歩きまわってさすがに、足と腰に強いハリを感じてしまって、
見学の同行者のみなさんとははぐれて、茶屋で沈殿しておりましたが(笑)
でもまぁ、その素晴らしさには圧倒されておりました。
こういう人物の元には全国から売り込みが殺到していたらしい。
ボランティア説明員の方の説明からも察せられました。
多少、玉石混淆で混乱した感じも見られますが、鷹揚に受け入れたらしい。
貿易に携わって、海外のみなさんと接することでむしろ日本の価値感に
深く思いを深められたのだろうと推測いたしました。
それにしても明治初期の時代の沸騰ぶりが彷彿としてきます。
日本全体は農業主体で貧しさに沈殿していた時代、はるかに先見性を持って
日本が世界に輸出するものとして、絹製品に着目して大いに投資して
財を築いた眼力というものの巨大さを
疲労感とともに思いっきりカラダに知らされた見学でした。ふ〜〜。

【政治家の信念、矜持はどこにあるのかなぁ?】


あんまり政治ネタは書きたくないなと思っているのですが・・・。しょがない。
さすがにここのところの驚くばかりの大騒ぎには呆れています。
いったいこれまでの話はどこにいったのかと見まごうばかり。
ただただ、選挙で議員バッチを付け続けているためにはどうしたらいいかと、
ドタバタドタバタ右往左往している野党議員さんたち。
たしか、ついこの間までは「民進党」という政党があったはずだけれど、
わたしが出張に出掛けて旅の空にいる間に、事実上なくなっている(笑)。
そしてたしか東京都知事だったはずの小池さんが
その地位のままに希望の党とかいう政党の党首になって事態が進行している。
政権選択選挙としての衆議院選挙で安倍晋三政権が信を問うているのに、
それに対して異を唱える反対党党首は、このままでは「憲法上」首相になれない。
これで「政権選択」を有権者に迫ることになる。
いまの状況でこの党が仮に政権を取ったら「身代わりの人物」が首相になる。
総理大臣って、そんなに軽いものだろうか。
そういう意味不明の大騒ぎを、それを朝日や毎日新聞がはやし立てている。
テレビはセンセーショナルな話題に飛びついて、
小池さんの劇場型メディアジャックを無条件に受け入れている。
かれら「反安倍政権」だけのメディアは安倍憎しのためにこれを利用している。
まことに北朝鮮もビックリの政治状況ではないだろうか。
これでホントにこういう政党が大躍進でもしようものなら、
世界中から、日本の政治はその信用を下落させるだろう。

そんな大騒ぎに対して、ようやくまともな意見が出てきている。
橋下徹前大阪市長のツイッター発言に大きな反響が寄せられているという。
「朝日新聞や毎日新聞は酷いな。僕が石原さんや江田さんと組もうとしたときには、
重箱の隅を突くような細かな政策の一致やこれまでの言動との整合性を求めた。
ところが希望と民進の合流は反安倍でとにかくOKだって。
国民はそんなに甘くないし、そんなことやってるからメディアの信頼が落ちる。」
まぁ橋下さんの発言には異論もあることは多いのですが、
これはまさに正論だと思います。
それにしても、民進党っていったいなんだったのか。
野党として政権交代を迫る選挙を前にして、あっという間に国民の前から消滅し、
その成員は選挙用に違う看板に掛け替えて、
バッジを維持したいという「野望」に狂奔して「希望の党」になだれこんでいる。
報道では小池さんは安保法制支持ということで、
そういう踏み絵を議員に迫っているという。つい1年ほど前あれほど反対した
この案件について、唯々諾々と「転向」されるのでしょうか?
信念を持って行動するのではなく、身分保障のため意見を変えるのでしょうか?
そういうひとをどう「信じ」たらいいのでしょう。
政治家の信念、矜持はどこにあるのかなぁ? であります。
そういう「政治家」に国民は本当に一票を投じるのか。
劇場型のこの政治状況で主権者は、どういう選択をするのでしょうか?

<上の写真は皇居前の美術館から皇居を臨んだ景色>

【東アジア世界の憂鬱な現実】

ハフィントンポスト2017年09月27日 13時14分
「世界地図から日本列島をカット 平昌オリンピック公式サイト」
2018年冬に韓国で開催予定の平昌(ピョンチャン)オリンピックの公式サイトに、
日本列島とサハリンが描かれていない世界地図が掲載されていた。
ネット上で問題視する声が相次いだ後、9月27日正午ごろ、
該当する地図に日本列島とサハリンが追加された。
菅義偉・官房長官は「ホームページに(日本列島が)なかったということは
承知してます。今朝、スポーツ庁から在京韓国大使に指摘をし、
早急な是正を申し入れたところであります」と話していた。

・・・意図的ではないとした上で、当局や閣僚が謝罪したと言うことだそうなので、
まぁ、それで済ますしかしょうがないのですが、かの国の反日教育ぶりには
日頃からほとんど付ける薬がないと思っているところにこうしてさらにやってくる。
オリンピックという国際親善の機会にまでこういった問題が起こるというのは、
韓国の人が自分自身気付かないレベルで国際常識欠如になっていることを
如実にあらわしていると思わざるをえない。
こうしたかの国の人々のゆがんだ世界観に接するたびに、
こうした反日をまるで好んでのように助長してきた同胞も少なくないことを憂う。
慰安婦問題を長期にわたってねじ曲げ、こじらせてきた
朝日新聞の捏造記事による反日助長は、つくづくまことに罪深い。
来年、この冬期オリンピックは開かれるということですが、
こんな精神的な「仕打ち」を受けて観戦ツアーに行きたい日本人はいるだろうか?
そもそも国際に関わることで、かの国の人々には日本を
冷静に外国とみる考え方はないのだとあきらかに示された気がする。
なぜここまでの非常識があり得るのか、
まことに暗澹たる気分で、残念だと思いました。

【週刊文春10.5号に「断熱のススメ」記事掲載(!)】


きのう、ふとコンビニで見掛けた週刊文春さん。
パラパラとめくっていたら、住宅ネタが健康関連として記事になっていた。
一般週刊誌、あるいは一般新聞でも住宅ネタって、
ほとんど目にすることがないなかで、ちょっと驚いて購入しました。
あ、わたし、新潮と文春は比較的に好きな雑誌でして、
新聞系雑誌は絶対に見ないけれど、この2誌はそれなりに買うことがある。
最近は文春が、「砲」付けで呼ばれて、話題を提供しているけれど、
「家の履歴書」などのコラムがなかなか充実している。
あ、わたしは文春から広告料はもらっていません、念のため(笑)。

で、この記事を書いたのは笹井恵里子さんという「ジャーナリスト」さん。
まぁフリーで記事を提供しているライターさんのよう。
「やっぱり危ない!?「糖質制限ダイエット」第一人者が急死した」
と書かれた糖質制限ダイエット派の桐山秀樹さんの死亡をめぐって
話題になったルポルタージュ活動をされていたそうです。
わたしはそういうダイエット系の話題には興味がなかったのですが、
カミさんは大好きでして(笑)、彼女はいまだに糖質制限ダイエットをしている。
効果のほどはまぁ、どうなのでしょうか(笑)。
そういった流れから、今度は住宅と健康というネタで週刊誌に売り込んでか、
こうした記事掲載に至ったのではないかと思われます。
記事は、慶応大学の伊香賀俊治先生、識者の今泉太爾氏、星旦二先生、
近畿大学の岩前篤先生など知己のみなさんへの取材に基づいて展開。
内容的には、一般のみなさんに興味を持っていただける記事だと思います。
たぶん、文春と言うことで中高年男性読者が多く、
かれらに共通の悩み事として老後の健康問題というのが大テーマだろう、
というヤナギの下のドジョウを狙ってのものかと。
少なくとも、文春編集部の判断としてこういった「スジ」はありそうです。

記事の中でいろいろな書き方をされています。
そのなかで伊香賀先生への取材応答だと思われるのですが、以下の記述も。
「平均年齢67才の約60名の脳を特殊なMRIで調べると、
室内の床上温度が16度の家に住む人は、13度に住む人に比べて、
脳の神経繊維が6才若いことがわかった」
ふ〜〜む、なかなか対象年齢層といい、ツボに迫っている(笑)。
「おお、これは・・・」
と、この年代層が揺すぶられそうな話題展開なのでは。
大体、この年代層は知的好奇心は強い方だと思われるので、
「脳みそ」に直接かかわってくる書き方だと、持って行かれそうかも。
まぁこの年代だと、たぶん住宅リフォーム需要ということになるでしょうから、
しっかり低予算での「窓への樹脂内窓プラス」という簡便リフォームも紹介している。
さらに大規模な断熱リフォームについても伊香賀先生の推奨というカタチで
話題として展開されていました。
一般誌でもこういった記事が掲載されてくるように、
断熱への理解は深く浸透しはじめていると、温暖地の状況は見て取れますね。
市場変化に敏感に対応していく必要があるでしょう。

【外リビングとコンパクト住宅のヨコハマ的環境応答】


きのう紹介の「横浜・六ツ川の家」の続篇です。
この住宅は密集住宅地、しかも高低差のある土地に建っていますが、
開く、閉じるの「環境応答」を明確にした住宅だと感じました。

まず熱環境的には、UA値で0.48、Q値で1.488というレベル。
北海道の現行基準並の性能値を確保し、
その上、気密性能も0.3としっかり確保されている。
したがってエアコン暖房+冷房の効率が温暖地域としては格段に高くなっている。
で、内部プランではキッチンに対面するダイニングが吹き抜けになっていて
その奥に「畳コーナー」的な居間がある。
居間はローソファーがしつらえられた空間で、窓も小さくしてあって、
むしろ家族での静かなひとときを楽しむ感覚の空間。
「家の中心」というのは、この吹き抜けに面したダイニングであり、
さらにそこから開放的に出入りできる「外の居間」だと感じられます。
平面図で見ても、この外のリビングは家の雰囲気を支配している。
面積的にもダイニング+居間と同程度の広がりがある。
ダイニングを中心にして、静かな内の居間に行くか、開放的な外の居間に行くか。
そういう作られようになっている。
たぶん、夏場には外の居間は本当にシームレスに繋がった空間でしょう。
そのような暮らしようを考えれば、過密密集地であるけれど、
高低差のある立地条件というのは、一転して最高の環境条件になる。
外部からの視線とはかなり距離があって、普通の暮らしでは
まったく気にする必要のないレベルになっています。
温暖地域であるメリットを実感できる内と外のバランスだと言える。
冬場でも日本最高レベルの「日射」条件になるこの地域では
まさにごくまっとうで環境応答的な生活装置と言える。

そんな家の雰囲気を表現するように2階の子供室には
アスレチックネットまでが装置されているし、
外リビングにはブランコも設置されている。
アクティブで開放的な夫婦+女の子2人の家族の暮らしようが見えてきます。
過密都市環境の中で、開放的に外部と応答するプランというのは、
逆に壁や塀でがんじがらめに閉じることでしか実現できないと考えるのが
一般的な「解」になると思うのですが、
この家では奇跡のように自然に実現している。
一方で、窓や開口部を閉じたときの住宅の「環境性能」が
そういったアクティブさを生み出す背景的なバックボーンになっている。
「暑さ寒さを忘れる」住宅性能が、自然環境への積極的な生活姿勢を生む。
閉じたときの快適性がしっかり確保されている安心感が、
暮らしに見事なコントラストを演出するのだと思います。
北国発祥の住宅技術が、温暖地での暮らしをもっと彩り豊かにさせている。
そんな強い印象を受けたヨコハマ・六ツ川の家でした。

【過密、高低差に挑戦した横浜・六ツ川の家-1】


先日の住宅にも「意地の」というタイトルを付けさせていただいたけれど、
東京・横浜や関西圏などの過密密集地の家づくりの現実は、
まことに一棟一棟がプロジェクトX的な物語性に満ちている。
そのなかでも、書けない部分を含めて(笑)
この「六ツ川の家」はまさにその代表的な事例だと言えます。

敷地のことは、本当にどこまで書いてもいいのか悩むほど。
シンデレラストーリーというのか、シンドバットの冒険譚なのか、
まさにスリリングな展開の末に、この敷地に家を建てられることになった。
バスで大勢でこの土地に向かうには、
数百メートル離れたバス通りで下りなければならない。
それも、セブンイレブンの敷地に片側を乗せて、
数分間のウチに下りなければ、交通に迷惑を掛けることになる。
そこから徒歩で胸まである傾斜の坂道を上っていく。
途中、軽自動車トラックが坂道を下りてきたけれど、
それと当方人間が行き交うのがやっとという狭小道路が連続し、
以降は自動車の入れない道を上っていく。
近年大相撲の力士は地方出身が減って、体力があるのは
都会の子どもたちだとされますが、
こういう自動車の使えない地域というのは、大都会の方に限られる。
必然的に足腰が鍛えられていくのだろうと推測します。
で、ようやく接道の明瞭でない入り口を抜けてこの建物にたどりつきます。
敷地面積自体は176.21㎡だけれど、半分以上は擁壁部分のよう。
マチュピチュの空中都市を思い起こさせるたたずまい。

家の中から見ても、いかに傾斜面に建っているかが明瞭。
横浜は空襲で中心部が焼け野原になった結果、
その地域の街割り、都市計画はクッキリとした状態になっているけれど、
それ以外のいわゆる「住宅地」はほとんどが山を敷地にせざるを得なかった。
敷地が狭小の上に道路もモータリゼーションに対応できるはずもなかった。
そもそもギリギリの一間道路が関の山では、重機による作業も行えない。
基礎工事に使う生コンクリートはどうしたのか、とふと自然な疑問。
・・・書けません(笑)。まさに波瀾万丈ストーリーであります。
で、さらに建築材料は「どう運ぶのか」というこれまた素朴な疑問。
即座に「テハコビです」というお答え。
とっさに「手運び」という動作名詞への漢字イメージが浮かんでこない。
まさに北海道やその他地方からは、想像も超える世界。
片や人手不足で機械化・合理化が必要と声高に言われている現代で、
ひたすら、現場には人力主体で建材を搬入するのだという。
「その経費は?」とこれも常識的質問ですが、
「積算の方法もわからないけど、体感的には700-800万円」という答え。
よく「現場経費」の違いが過密地域からは言われますが、
ニッポンはいま、大きく合理化が進んでいる国と、
そういう点ではむしろコアの部分で「自然に帰っている」国が共存しているのかも。

まさに不思議の国に迷い込んだアリスの気分で
夢の中のような住宅取材をしておりました。あしたに続きます。

【横浜戸部の家/築11年“2階中庭”の機能推移】



関東・横浜での住宅見学シリーズです。
こちらは横浜市戸部の築11年という住宅です。
設計者・鈴木アトリエさんがまだ、高断熱高気密に目覚めていない時期。
過密都市的な環境の中で、どのように暮らしをデザインしていたか、
その様子がうかがえる住宅取材でした。
ただしわたしはワケあって、説明時間に若干遅刻したので
鈴木さんからの解題を聞いておりませんでした(泣)。
ということなので、資料と自分の興味のままにテーマをまとめます。

敷地面積は30坪弱。3階建て延べ床面積は44.7坪。
プランとしては条件にすなおに対応した3階建て。
過密都市が求める諸条件のなかで建て主の生活要求を満たしたデザイン。
外観的には正面側フォルムは外壁材を窓まわりで変化を付けている。
駐車スペースを取れているのは、過密都市住宅としては
敷地条件的に前面道路接道などが良好だったことを表している。
北海道東北のような条件とは違うので、比較のしようはない。
そういう敷地背景の中で、子どもさんが野球をやっていたり、
ご主人がバイクの趣味を持っているという「与条件」を受けて設計した。
可能な限り、そういった個性を反映した設計を考えるだろうと思います。
鈴木さんが出したプランの大きなテーマは2階の中庭。
周辺環境から、北入りの敷地で採光や通風を確保するのには必殺プランでしょう。
まずは、採光という基本要件をどう確保するかが大テーマ。
密集都市での住宅デザインのひとつのカギなのでしょうね。
そういう意味では伝統住宅の町家が、中庭を持っていることは自然な解。
ただしここでは、その中庭が2階に持ってくるプランになった。
構造は確認はしていませんが、1階はコンクリート造であることが自明なので、
その天井スラブを利用して、中空の中庭になった。
で、その中庭でアウトドア的嗜好の強そうな家族は、テーブルを出して
にぎやかにお茶やバーベキューを、と考えたそうですが、
結果はそういった使い方には至らなかったということ。
出入りの想定が、居間の収納兼用的なベンチ階段からというのが、
その用途にふさわしくなかったということなのか、
と説明には書かれていましたが、出入りのための窓引き戸が巨大すぎて
そういう心理には至らなかったのかも知れません。
あるいは、ほかの本来のリビングダイニングが個性的でいごこちもいいので
あえてそういう条件を乗り越えてまでアウトドア志向を持たなかったのかも。
また、外壁見立ての引き戸扉をデザインした「バイクガレージ」でしたが、
結局はバイクの購入をしなかったということ。
家を建てる段階では夢として語られていたということですが、
設計と実際の暮らし方には、建て主さんの変化もあることを考えさせられます。

ということで中庭は本来の「光庭」として機能するようになった。
居間空間にたっぷりの採光を提供していますが、
同時に対角に配置された水回りからもこの中庭がたいへん効果的。
照明がなく中庭に出窓で開口する洗面はまことに気分がよさそう。
横浜は日本有数の日射の多い地域。
まことに開放的であることが地域性にまでなっていますね。
ただし、そういった条件の土地であるからこそ、
断熱や日射遮蔽などが現代住宅の基本として求められるのだと思いました。

【意地の都市住宅「公と私」〜接道・幅員】


北海道、札幌のような敷地条件の地域は、
世界的には近代的な計画都市では一般的だろうと思います。
しかし近代以前の都市、あるいは近代都市でもその周辺など、
ほぼ無計画で「街割り」された地域は、まったく様相を異にする。
そして実は日本の都市の大部分は、そういう土地条件の地域が広がっている。
札幌は明治以降にアメリカから招いた「お抱え技術者」たちのなかの
都市計画者たちが、北米的計画都市の考え方で基本の街割りをした。
なので、冬期の積雪条件も考慮に入れて、
道路幅員は一般的に30m近く、小路でも最低6mという広大さで計画した。
その様子はいまでも、何条何丁目という市中心部の「原札幌」地域では一般的。
こういった街割りでは、より人間的コミュニティ形成ではマイナスに働いたが、
その後のモータリゼーション革命には余裕を持って対応できた。
日本の他の大都市が、交通問題に悩んだことを考えれば、
「都市計画」の素晴らしさを実感できる街だと思う。
なので住宅建築を考えるとき、接道条件とか、その道路幅員とか、
あまり大きな検討条件にはならない地域性を持っている。

一方で、ニッポンに一般的な数百年以前に街割りされた都市で
住宅を考えていくときに、この敷地的「与条件」との応答が、
大前提の問題として、戸建て住宅設計に重くのしかかってくる。
写真の家は、横浜の設計者・鈴木信弘さんの設計した住宅。
接道する「公共道路」の幅員はなんと1.8m程度。
この幅の道路にしっかり上下水道のマンホールなどが確認できた。
もちろんクルマの進入はできない。
こうした地域で、駐車場を持てるというのは大変な「ステータス」。
こうした狭小幅員の地域では、建物の「セットバック」も要請される。
2枚目の写真のように、この家でも約1.8m幅で外壁ラインが後退している。
行政的にはこうしたセットバックで公共道路の事実上の拡幅を意図しているけれど、
あくまでも「私権」への要請であって、建築後、その私有地に塀が回されたりして
事実上、幅員が連続しない状況が現出している。
「公平」という観点からは難しい部分ができてしまう。
本来タウンハウス、町家あるいは長屋などの都市集住形式があるべき地域に、
場違いに「戸建て住宅」文化が無理矢理に挿入されている。
こういった都市住宅の状況を見て、見学中ある人からは
「やはりマンションの方が・・・」という
本来、戸建て住宅事業者としてあるべからざる発言まであった。
しかしまた一方で、こういった条件の中での家づくりには
「意地でも都市に住みたい」という極限的環境での叫びも聞こえてくる。
戸建て住宅がこういった私権制限が必要と思われる地域で建てられる結果として
近代以前の都市集住の地域性として存在した生活マナー・エチケットは、
大きく後退し、個人主義的主張が大きくなってこざるを得ない。
そのあたりの「公と私」の関係が、いまの日本では十分に探究されていない。
常に棚上げされ続けてきた大テーマなのでしょう。
しかし棚上げされ続ける間にも、戸建て住宅は建てられ続けてきている。
秀吉の時代には、権力の強制で解決できたけれど、
いまの時代、民主主義的な私権コントロールははたして可能なのだろうか?