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誕生地の記憶

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こういう興味というもの、自分でもわからないものなんですが、
近くに寄る機会があるときなど、
なにかの心情が得られないかと考えて、つい足が向くことがあります。
わたしが生まれた土地というのは、現在は高速道路インターが近くにあるので、
比較的に便利の良い場所に位置しています。
現在の行政区では、栗沢町上志文というところ。
炭坑が上流にあった小さな川で区切られた農地で、
東南側になだらかな山地が迫っていた土地。
川には、「渡し場」という地名が残っていて、
たぶん、橋が掛かるまでは船で往来していたと推測されます。
まぁ、そんな土地なんですが、
現在は栗沢町から、岩見沢・三笠に抜ける道に面していて、
車両の通行量も比較的多い道沿いといえます。
写真で見るようななんの変哲もない土地。
現在も農家が建っていて、農業を営んでおられるようです。
で、なにか記憶の痕跡のようなモノが得られないか、
という部分では、なかなか得られるものはありません。
なにせ、満3才前後までしか、ここで生活していなかったので、
記憶痕跡のきっかけのようなものもないのですね。
農家であった記憶としては、
いまでも稲ワラなどをいぶして燃やす臭いに、鋭敏であることくらい。
あの臭いを嗅ぐと、強烈な思いが甦ってくる気がするのですが、
やはり記憶は連続いたしません。
ライシャワーさんという、
米国駐日大使を務められた日本生まれの学者さんが書かれた
平安期の高級僧侶・円仁の中国訪問日記への解説文をいま、読んでいるのですが、
そのなかに、中国や日本の歴史学の傾向として、
あまりにも年号や事実の暗記に流れやすく、
「生活の実相を把握する」という態度が少ない、という指摘があります。
まったくその通りで、柳田国男さんなどの民俗学という部分が
長く、日本には視点として存在しなかったのだそうです。
その時代に、どんな心情で、どういう考えを持ってひとびとが行動したか、
そういうことがらが、なかなか追体験できない。
事実で簡潔にまとめられたなかから、行間を伺うしか、
「時代の空気感」のようなものは得られないものなんですね。
すくなくとも、ライシャワーさんの歴史への態度はそのようなものなのだ、
と知ることができて、興味が深くなっています。
しかし、自分自身のことでさえも、なかなか追体験というのは難しい。
いくつかの断片的な事柄をワンピースとして、
徒労に近いようなジグソーパズルに挑んでいるような気がしてきます。

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