なぜ、日本では宗教イデオロギーとしての
仏教をここまで受容してきたのだろうか、と思う。
東アジア世界のなかで、中国で仏教が大きく勢力を伸ばし、
随とか唐とかの世界最強国家が出現する中で、
「遣唐使」というかたちの朝貢外交を展開し、受容するしか、
道はなかった、ということなのだろうか?
初期の仏教伝来期には、これを受容するかどうかの対立があったとされる。
朝鮮から「仏教が伝来」したときにそれへの対応を巡って
国論が別れ、結局聖徳太子がリードするかたちで
仏教を受容する方向がかたまり、その過程で国家体制の強化が図られた。
天皇権力体制、朝廷権力の強化が同時に進行したといわれる。
しかしその過程では外圧とか、利用する、という態度とはいえない
かなりの「のめり込み」が感じられてならない。
イデオロギーとしての仏教と共に、
流入した最新の「文化」総体に巨大な魅力があった、ということなのだろう。
世界最先端の思想や、文化が仏教周辺で大きく花開いていて、
その総体を輸入しようと考えれば、結局仏教を「熱狂的に」導入せざるを得なかった。
一度、導入すると決めた以上、徹底的に国家が全体重をかけて
文化輸入に徹底していったと言うこと。
こういう民族的な体験って、比肩するとすれば、
明治以降から現代に連なる、徹底的な「脱亜入欧」思想がそれに当たるのだろうか?
「欧米か」というフレーズでヒットした芸人さんがいるけれど、
着るものから髪型、国家体制の基本まで、ありとあらゆる欧米文化を圧倒的に受容してきた。
そういう類推が、やはり一番近いのだろうと思う。
いまはその過渡期なので、仏教に対する過去の伝統的な日本人の態度が
忘却されているのではないか。
そのように考えれば、ようやくにして、
仏教への日本人の情熱が理解できるような気がしてきます。
確かに、欧米思想の導入はすさまじいものだったし、
こういうことと、仏教の導入とは同様の事態だったと考えれば、
納得できてくる部分がある。
しかし、世界の大きな国家で、ここまで積極的に外来文化を受容した経験がある国って
どれくらいあるのでしょうかね。
写真は国宝に指定されている、奥州藤原氏の縁戚が残した「浄土庭園」を持つ白水阿弥陀堂。
中央から離れた地でも、仏教の末法思想から来る
このような大規模な土木建築工事が残されるほどの情熱ぶりだったのですね。
宗教というものの影響力の深さ、大きさを実感させられます。
Posted on 1月 3rd, 2008 by replanmin
Filed under: 歴史探訪
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