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店舗、目線的な訴求力

住宅というものを考え続けているのですが、
一方で、わかりやすい建築の価値ということでは、
店舗という世界もありますね。
町、というのは人の集まる「境界」的なところに
モノを交換するという機能を発展させていった空間が萌芽になったのでしょう。
きのう紹介した三陸の海の幸など、ひとからひとへ
贈与されることで、贈与の習慣が始まるのが、
「交易」のスタートであることは間違いないと思うのですが、
そこからどうやって「商売」になっていくのか、
物の価値を交換し、そこに平準的な「つりあい」をどう考えていったのか、
たぶん、自然に定まっていった、というのが実態だったのでしょうが、
人間という習慣性動物のふしぎな生態の大きな部分でしょうね。

で、そうやって成立した「市場」において、
人に何かを「伝える」というメッセージ性は、これも原初的な
コミュニケーションだったことでしょうね。
そしてそれが日々、更新されていっていく中で、
そのときどきの皮膚感覚のようなものが研ぎ澄まされていった。
写真は、仙台の街を歩きまわっていた最中に
自分的に、いまの感覚に強く訴えかけてきた店舗2題であります。
左側は、蔦の絡まる、なんの店やら、
という建物なんですが、どうも焼き鳥屋さんなんですね。
緑で鳥を寄せて、集めて焼いて食べるという類推はまさか、でしょうから
店主さんの個人的な建築的趣味でこのようにしたものでしょうか?
早朝に見たので、中には入れはしませんでしたが、
どうも気になってしまった店舗でした。
一方の右側は、コテコテのあぶらギッシュな明解路線。
色使いといい、この飾り気の無い正直さの雰囲気がいい。
あえてロゴタイプではない、
活字系の一般性を使い、正調な折り目正しさを感じさせる直球系です。
こちらも胃袋を狙う真っ正直な姿勢が感じられて好感が持てる。
2度ほど前を通りかかったのですが、
しかし食事時間から大きくはずれていたので、どうしても入りきれませんでした。
でも、残念さが心に残り続けている。
目線的な訴求力としては、正解にかなり近いのではないかと。

で、こういった食べ物系の目線的な訴求力、
最近は、地域特性がだんだんに失われつつあるのが、悲しい。
日本全国どこの町でも、
同じロゴタイプが氾濫している。
味覚や感じ方のような物の
日本全国コンビニ化というのは、できれば避けたいですよね。

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