こういう書き方をしてみて
なかなかに違和感があることに気付きますね。
しかし、「地域性」という書き方では、よく伝わらないような部分の考察です。
東京には、ふるさととしてのどんな印象が存続しているのかいないのか、
っていうことについて、考えてみるということです。
それは地域性と住宅っていうことから、
当然に考えていかなければならない問題でもある。
以前、倉本聰さんにインタビューしたときに
不思議と記憶していることがらに、
自分が生まれ育った「田舎としての東京」の風景がどんどん喪失する感覚、
っていう言葉を聞いたことがあります。
倉本さんは、戦前生まれで杉並区善福寺周辺が「故郷」なのだそうですが、
いまは、行くたびに風景が破壊されて
町としての記憶痕跡が、ほぼ無に帰していくプロセスを経験しているのだとか。
そういう感覚が、一時期ではあれ、住んだことがある人間として
ある部分、共有できるモノがありました。
倉本さんが北海道に移住してきた根底に
そういった故郷喪失者としての思いが存在しているのかも知れない・・・。
東京は、その開闢が徳川家康による新都市開発であって、
それ以前からあった「都市性」っていうのは、
隅田川の河畔に成立した民間信仰としての浅草寺くらいしかなかったといわれる。
浅草寺の縁起書きにはそんなことが記されている。
権力による計画都市、というのが東京の起源に近い。
で、幕末まで続く江戸という消費型都市が基本になって、
その後、戦前までの「東京」としての歴史時間が積み重なる。
たぶん、倉本さんの記憶の中のふるさとは、そういう残影だったのでしょう。
そこに戦争の結果としての大空襲、焼け野原があって、
そこからの一直線が、いまの首都機能を構成している。
京都という街は、戦争による焼け野原というのは同じように何回も経験していて
いまに続いてきた街は、基本的に秀吉による街割りなんだそうです。
そう考えれば、どこに歴史時間の基軸を置くかによって、
「ふるさと」性も変化するモノでしょうね。
わたしたちが、「京都らしい」と思っていることも、
そのように考えると、たかだか400〜500年のことなんでしょう。
それ以前のことはどうなるんだ、という気もしてきます。
人間の記憶の継続性を尺度にして、
いま生きている人間から計算するくらいしか、
こういった「都市性」を計量することは不可能でしょう。
なんか、面白いんですが、
とても断片的なブログでは書ききれないテーマのようです。
しかし、住宅は抜けがたく「地域性」とともに存続するというものなので、
こういった考察からは逃れられないでしょうね。
これから、いろいろに考えを進めていきたいと思います。
<写真は江戸から続く都市文化としての銭湯。>
Posted on 10月 5th, 2011 by replanmin
Filed under: 「都市の快適」研究
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