きのう、津軽と北海道のことを書いたら、
ふと、同じ雪国同士という関係性よりも、むしろ在地性の乏しさという意味で
北海道はむしろ、東京の気質に近くなるのではないかと気付かされました。
北海道移民の歴史みたいな本、さっぱり読み進められなかったのですが、
そういうなかでも、北海道にはそれこそ日本中から集まってきた様子は
確実に見て取れる。
で、それぞれの背負っている在地性が違うので、
正月のモチひとつとっても、北海道にはあまり統一性がない。
まぁ、そういうなかではだんだん、合理性の方が、
日本の地域性が集合する中で、日本インターナショナルな(ってへンな言い方)
方向性の方が強くなっていって、
それは段々受容されるようになっていく。
日ハム(最近、ファンとして辛いけれど)が来る前まで、
北海道は巨人ファンが圧倒的だったのには、そういう下地があったのかも知れない。
テレビとか、そういった「文化性」のほうが、
伝統的「地域性」のない北海道では、より強まる、という側面があります。
一方、東京も全国からの流入によって
たぶん、人口の3/4以上が占められていると思われる社会。
一応、「江戸っ子」という在地性はあるようだけれど、
それも、首都機能を果たすようになってからの、
いわば、他地域出身者への差別を正当化するための優越感情が基本だと思う。
東京の笑いは、関西と違ってひとをけなす方向性がきわめて強い。
「笑点」なんかの笑いは、あれは差別感情が抜けがたく基底にある。
地方出身者としては、あんまりあの笑いには付いていきたくない気分がある。
まぁ、そういう部分は別にすると東京の、
日本各地からの混在性は、
北海道の混在性と、やはり極めて似た部分があると思う。
このことと、どう関係するかはわからないのだけれど、
東京の人間から、っていうか、かれの出身は関東と言うことで
東京ではないのだけれど、
「おまえ、北海道みたいな田舎から出てきているのに、訛りに劣等感持たないのか?」
っていわれたことがあります。
たとえば、東北出身者は、注意深くめったに方言を東京では使わない。
それなのに、それ以上に(笑)田舎の北海道から来て
平気で「そうだべさ」みたいなことを言っている。
まぁ、本人はそれなりに標準語は意識してはいても、
そう北海道弁に劣等意識は感じていないのは事実でした。
あれは一体何だったのかと思うと、
やはり、東京の空気感に地域混在性を強く感じていて、
北海道人であるという意識をほとんど感じる必要がなかったということだったのか?
それとも、わたしがきわめて鈍感な感受性を持っていたのか(笑)
まぁ、後者の要素が強いとはいえ、前者の部分も大きいだろうと思います。
まぁそうはいいながら、
最近の日ハムの北海道への根付きぶりと、巨人軍の不人気ぶりをつぶさに見ると、
やはり北海道も、歴史時間とともに、
日本の中のひとつの地方性として強まってくるのかも知れないと
そんな感じもしてきてはおります。
ただ、そういう熟成に遙かに優先して、
テレビなどの全国共通性文化の伝播性の方が、なだれのように
すべてを押し流していくのかも知れません。
文化の地方性、これからは、さて?
Posted on 10月 4th, 2011 by replanmin
Filed under: 歴史探訪
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