今週は広島・長崎と相次いだ日本への原爆投下の記憶継承週間が再来する。
「二度と間違いは冒しません」と戦後のニッポンはスタートした。
第2次世界大戦での戦争指導の「間違い」自体はまったくその通りであって、
それは「国のカタチ」も含めて国民の総意であったことは疑いがない。
しかし同時にそれは、核兵器を人類に対してはじめて使った戦勝国の罪、
あまりに非人道的で、結果それ以降一度も使うことができないほどの
惨禍を人類にもたらせた「人類的罪業」から目を逸らせる意味合いも強かった。
その罪から免罪するためには「戦前日本」を極悪非道とする必要があった。
朝日新聞をはじめ、戦前から継続してきたメディアの多数は、
GHQから呼び出されてその存続を許諾されるとき、
この「戦後体制」への翼賛を誓約し明治以来の日本の真実を封印して極悪化して、
「戦勝国」に対し二度と逆らわない国民意識コントロールを誓った。
GHQが示した「報道の自由」は蠱惑的「権力」として使いうると内心で考えもした。
象徴として、現実の国際政治とは甚だしく乖離する夢想的「憲法」が強制され、
その護持をメルクマールとして「進歩派」の衣装をメディアはまとい、
その実はGHQ戦後体制最大の「守旧派」として戦後日本をコントロールしてきた。
非道な民間人殺戮である「大空襲」や二度にわたった原爆投下という
人類史に深く刻印された「罪業」にいつか日本人が目覚めて
その正常な国際的審判を民族として要求しないように、
日本国内にその「不可逆性担保・社会装置」として構築されてきた側面があると思う。
朝日の戦前の論調は、背乗り的なアジア進出アジテーターだったとされるけれど、
戦後は過度な「憲法体制絶対翼賛」者であったと思う。
いま、そうした戦後世界体制が最終的に中国という簒奪者によって破壊されはじめ
剥き出しで具体的な侵略が尖閣に対して仕掛けられてきている。
中国、漁船群の尖閣領海侵入を予告 「日本に止める資格ない」<産経報道>
民主主義価値感は敗戦国の国際公約としても日本は順守すべきであるし、
それ以上に現実論として日米同盟が日本の基本国家戦略であるべきことは自明。
戦前の最終期、世界での海洋(貿易)国家連合ともいうべき米英と対立したけれど、
日本の地政学的な位置からして、本来、日米英(欧州)同盟志向が
明治開国以来の日本の基本戦略であるべきことは論を待たない。
いま、世界からあきらかに「孤立」し始めた中国は周辺国にケンカを売りまくっている。
ついには尖閣に大量の漁船群団を派遣し、軍・海警一体での侵略を公言した。
戦後ニッポン最高の緊張局面であることは間違いがない。
この局面で日本の報道メディアがどう反応するのか、注意深くウォッチしている。
朝日ははじめて、日本の安全保障、「国益」というものと直面させられる。
中国の戦狼外交戦略に対して、どういう風に論考評価するつもりなのか?
当面は「事実報道」に徹したとしてもやがて論考は避けられない。
あからさまに沖縄県尖閣に侵略を仕掛けられてきているなかで、
日本の報道メディアは「日本国内」でどのように意見発出するのか。
「戦後」守旧派という存在がどのようになっていくのか。
コロナ禍からの中国の戦狼外交が「尖閣簒奪」として激しさを増す中で、
日本の正念場が近づいてきているように思える。
Posted on 8月 3rd, 2020 by 三木 奎吾
Filed under: 日本社会・文化研究, 状況・政治への発言
コメントを投稿
「※誹謗中傷や、悪意のある書き込み、営利目的などのコメントを防ぐために、投稿された全てのコメントは一時的に保留されますのでご了承ください。」
You must be logged in to post a comment.