北海道で一時期、戦前期から昭和20年代の木造住宅で、
写真のような「出窓」が重要なデザインコードであったことはあまり触れられない。
わたしの不勉強であることは間違いないのですが、気になっている。
わたしの3歳からの札幌生活スタートの最初の家は
この出窓が特徴的な木造住宅だった。
いまの札幌市中央区北3条西11丁目、北大植物園に東側が面した建物。
その植物園に向かって、その緑を取り入れるように大きな開口が開けられ、
この写真のような出窓が風景を切り取ってくれていた。
どういう設計意図でか、この出窓の手前側は「土間」であり、
ちょうど屋根のある「縁側」状で、手前側の居室に一段段差がついていた。
開口部としてまことに印象的な仕上げであり、
子供心に、その空間の「魅力的な佇まい」がこころに強く印象されていた。
であるけれど、親からは建築自体は当時の「建売住宅」だったと聞かされ
購入先の不動産業「木下藤吉」という人を食った命名会社の記録とともに
いまもわたしの探究を逃れナゾのママに放置されている(泣)。
しかしあきらかに注文建築ではなく、建売であることはわかったので、
そうするとこの「出窓」デザインというのは建築当時(戦前期から昭和20年代推定)の
札幌市内での一般的建売住宅に普遍的な、いわば「流行」のスタイルと思える。
いまとなっては、その空間性を確かめる術はないけれど、
その「流行ぶり」はこの写真の「北海道開拓の村」に、数軒こうした「出窓」を持つ
住宅空間が保存されていることからも容易に類推できる。
わたしは建築史の専門学究ではない、ただの住宅ジャーナリストなので、
事実そのように「流行」していたかどうかの特定はどなたかに譲るけれど
なぜこのような「出窓」がポピュラリティを持ったか、強く興味がある。
で、ここからは個人的な類推でしかないのだけれど、
1 欧米の木外壁下見板張り住宅デザインでは「陰影感」が重視されたか?
2 開口部の「結露被害」は容易に想像できるのでそれへのなんらかの「対応」か?
という大まかには2つの可能性を想像しております。
そのどちらにも蓋然性があるように思っている。
下見板張り住宅はそれ自体、陰影感があるけれど、それをさらに強調して
「いかにも、モダニズム」という印象を人に惹起させるデザインとして
みた目重視の建売住宅顧客層に「お、なかなかいいね」と思わせる象徴として
効果的な外観位置にこの出窓を配置して、「見せびらかした」可能性。
一方は、当然のように多発する冬期の「窓面結氷」に対して
室内生活環境への否定的波及を抑制する意味合いで「張り出させた」可能性。
このように張り出させれば、結氷が溶解したときの水分処理が
より容易かった可能性が想像できるのですね。
窓辺の「カーテン被覆」も毎日濡れないで済む効用もあったか?
と考えると、その後の窓ガラスの複層化、耐候性向上進化方向の初見、
その最初期段階であったという想像も出来るのでは、と。
そしてその両方の要因が絡み合うように「ブーム化」したのか?
さらに、本州地域のこの時期同種住宅デザイン傾向はいったいどうであるのか、
北海道のオリジナルな「寒冷地デザイン」の初見ではないのか?
などなど、湧き上がる妄想はふくらんで止まないのであります(笑)。
おまけに建売不動産業者で「木下藤吉」屋号もまた、いかにも北海道的(笑)。
こういう業者の跳梁跋扈もきわめて興味深い北海道的特殊性の初見ではないのか。
新型コロナ禍で、このような寒冷地デザイン論議も進まないので、
ひとり勝手に妄想と疑問を膨らませ続けている次第。
再度、好事家(?)の反応・ご指摘を期待(笑)。
Posted on 7月 25th, 2020 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅マーケティング, 日本社会・文化研究
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