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【芽から花へ オオウバユリ劇的変化】


春から夏に季節は移ろっていくのですが、
北海道札幌では、開拓期以前のこの地の太古由来の自然輪廻が
保全されている地域が北海道神宮周辺にあります。
わたしの毎朝の散歩コースですが、
その地域に毎年顔を覗かせてくれるのが写真のオオウバユリ。
いつの頃からか、この花の成長ぶりが自然からの便りのように感じられ
日々観察し続けるのが、無上の楽しみになっております。
「きょうはどんなふうに変化〜へんげ〜するのか?」と
ワクワクしながら、その姿を固唾をのんでウォッチし続けている。
きのう、そのオオウバユリのいのちにわかりやすい「転機」がきた。
上の写真のように、花芽が大きく分枝して、まるで「花開く」瞬間。
その下の写真のように、たわわに膨らんだ花芽の各部位が
それぞれに分かれて、ひとつの花になっていく瞬間であります。
このひとつひとつの「枝分かれ」の先端部分が花として開いていく。
いかにも「ゆり」としての繊細な開花を迎えるのですね。
しかし、一個のいのちとしては、この分枝する瞬間がもっとも、
「お、お」と見る者に訴えかけてくれる。
神々しいまでのいのちの「美」を感じさせてくれるのです。

上の写真のような個体は、昨日朝時点ではまだ群落のなかで1−2個。
オオウバユリの姉妹群のなかでもいちばん「お姉さん」ということでしょうか?
たわわな花芽の房が、どっと崩れていく様は、まことに圧巻。
この地の自然環境がみせる初源的な大地のエロスとも思える。
この地に移住してきた南方からの和人にとっては、
たぶんごく一部の人間にしか、この花の美は知られていなかった。
この花の根茎部分に堆積するデンプン質が、
先住のアイヌにとっては、貴重な栄養補給源であったことも、
あまり知識はなかったことでしょう。
開拓から150年以上の年月が経過しているけれど、
和人たちの社会は、このデンプン質栄養源にはそれほど固執をみせていない。
植物のDNA徹底的利用民族文化を持っているのに、
このオオウバユリにそれほどの執着心を持たなかったことには、
米作への民族的な深い執着が最優先されたことがあっただろうし、
また、北米の「お雇い」開拓技官たちが、このような背景自然環境を愛し、
原始のままに環境保全すべきと開拓使に建言して採用されたことが
非常に大きかったのかも知れない。
いまとなってはわからないけれど、このような一個の尊厳ある
いのちのいとなみを現代に生きるわたしたちも感受することが出来ることは、
先人たちからの大きなプレゼントだとも思われます。

一期一会のいのちのいとなみとの出会い。
この種のよろこびはまことに得がたい「法悦」だと思います。

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