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【日本人の住まいとくらしの探究】


先日、社内スタッフのお父さんの葬儀に参列させていただいた。
わたしよりも8−9歳年上ということですが、
イマドキにしてみるとやや若い年齢での死と思えた。
その経歴などを聞きながら、自分自身の経験とも共鳴するような事跡が
語られていくウチに、ふと、重ね合わせて考える瞬間もあった。
生きることをどう使って、役に立つ、なにを残せるのかと考えるようになる。
まぁいわば、ライフワークということへの思い。

人間というのは現代では、そこそこの教育を受けることができる。
教育というのは、どういう「意義」があるかと考えれば
近代の資本主義社会の中で、それを発展させるために
「人材」として働いて生きていくための基盤を構成するものでしょう。
そしてそのなかで、どういう分野を選択するのかは、
各個人がそれぞれ自由に選択していくように社会が構成されている。
人類発展の現段階だと思いますが、かなり進化してきたと思える。
わたしの場合で言えば、一定の教育を受けてメディア関係の周辺で
仕事を選択して、とくに「住」の情報に特化して生きてきた。
そういう経験を、どのように自分で総括していくのか、
そんな思いがすこしづつ芽生えてきているように思われます。
写真は、千葉県佐倉市にある「国立歴史民俗博物館」での展示詳細ジオラマ。
住という部分で日本人はどう生きてきたのか、暮らしてきたのか
その始原に近いようなものとして、青森県青森市の三内丸山遺跡がある。
このジオラマは、その中心施設・大型の竪穴建築での「暮らしよう」を
再現するべく構成されたものでした。
わたし自身は学生時代からもっとも歴史には興味を持ってきた。
仕事としては情報・メディア関係を志向して住関連にシフトして
そこで、人間のくらしのありようを「伝える」ことに集中してきた。
たまたま、日本最高の寒冷地である北海道に生まれたので、
そういう気候克服技術進化については、カラダで分かる部分も持っている。
その手法、スタイルで、歴史についてもついつい、
「あなたはどう暮らしていますか?シアワセですか(笑)」という問いを仕掛ける。
いろいろな歴史的建築・住居などを実体験しながら、
いまはもう死んだひとたちに「取材」しているように思うのです。
まぁ、自分がこれから、なにごとかをまとめていくとすれば、
こういった領域が、いちばんふさわしいと言うことを確信しています。

この15,000年前ともいわれる三内丸山の縄文のひとびとの生活は
いろいろな研究者のみなさんの解析で、相当に詳らかになってきている。
このジオラマ自体、そういう研究成果そのものでしょう。
大型住居の屋根は自然素材で「編む」ように仕上げられる茅葺き。
そういう技術が確立しているとすれば、むしろや衣類もまた、
その技術援用から可能になっているだろう。
農業とは言わずとも、栽培的な営みに近い営為は自然に想定できる。
ジオラマの一部、2階として利用している箇所には
植物性食料を保存させるような工夫も見ることができる。
・・・このブログではこれまでもそういうテーマが大きい部分ですが
こうした領域について、もうちょっと目的的に「取材」を進めてみたい。

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