ときどきその地の「博物館」を訪れるのは、習慣化しています。
でも、ふと考えると札幌市の博物館は行ったことが記憶にない(笑)。
北海道博物館にはなんども行っているし、その他の文化関連展示も見ている。
ヘンだなぁと、思って調べたら、これはないんですね。
意味不明の「札幌市博物館活動センター」というのがあるそうです。
おっと、話題がそれまくりであります(笑)。
仙台市博物館というのはモダニズム的なデザインも特徴的で
立地的にも駅周辺で宿泊するとちょうどいい散歩路にも当たるので
よく前を通りかかったり、また数回見学もしている。
しかし、どうも展示内容が「伊達家」のことに偏っているといつも感じる。
敷地自体が「仙台城」の域内に存在し、
また、この地を城下町として開いた伊達家からその家宝の類を
寄贈されたということが下敷きにあるのだろうと思われるのですが、
常設展示を見ていると、考古の世界から徐々に歴史年代に移っていって
それぞれに興味深く感じる部分が多いのだけれど、
ある時期からは「伊達家の登場」というような展示になる。
このあたりで、どうしても情緒的な「共有感」が持てなくなってしまう。
たしかに「仙台」という土地は伊達家がその根拠地として
都市開発もした経緯は十分にわかるけれど、
展示を見る側にして見ると、別に伊達家にはゆかりを感じていないし、
むしろ違和感も持っている人間も多いと思う。
わたし自身も札幌の人間であり、市内には「白石区」という
伊達藩領南部からの移住者が集団的に開墾した地域もあるので
親近感は持ってはいるけれど、さりとてその「主君」である伊達家に
たいそうな思いはどうしても持てない。
であるのに、伊達家の家系図の類がこれみよがしに掲げられて、
まるである種「王統」でもあるかのように紹介されているのを見ると
おいおい地域の天皇家かよと、どうしても拒絶感を感じてしまう。
大体、天皇家についてだってそんな家系図には深い興味は持てない。
伊達の殿様たちがどうしたこうした、という雑事に興味を維持するのはムリ。
見るこちら側の拒絶感もそうだけれど、どうも展示側にも
どういう人間がこれをどういう気持ちで見るか、
というような想像力が感じられない「拒絶感」も感じさせられる。
今回も、仙台市内に残る最古級の豪族埋葬地「遠見塚古墳」には
いろいろな意味で強く興味を抱いたのだけれど、
こういったツッコミはほとんど見られない。
たぶん、伊達家がこの地を支配した250年くらいと
ほぼ似たような期間、この地の「開拓者」としてこの古墳に埋葬された
支配豪族についての興味は湧いてくるのですが、
展示外で調べてみても、まったく手掛かりは得られなかった。
地方中心都市博物館というのは難しい立ち位置ではあると思うのですが、
もうちょっと全国民的な視点もあって欲しいと思います。
<写真はなかなか内部を見られない茶室「残月亭」>
Posted on 5月 1st, 2019 by 三木 奎吾
Filed under: 日本社会・文化研究
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