先日訪問していた「陸奧国分寺」見学時に感銘を受けていたのは
869年の貞観地震、大津波被災の状況が伝わる情報がみられたこと。
一方、上写真は2011年東日本震災から7年を経て宮古市で建てられた住宅で
Facebookページでもシェアしていますが、
「どうせ建てるなら、自分たちの感性に合致した素敵な家にしたい」
という、まさに現代的な住宅とくらしの「再建」だと共感した住まいです。
1100年以上の歳月を隔てていますが、
この地域では同様の経験を経てきているということを深く知ることができる。
本日はぜひこちらのFB記事とも合わせて読んでくださると幸いです。
貞観被災時点での政府側記録「日本三代実録」では、
869年10月13日に朝廷は、陸奧国国司に対して
●死者への心配り
●被災者への賑恤(貧困者・罹災者などに金品をほどこすこと。)
●税の減免処置
●困窮する民への救済行為
●ていねいな対応姿勢
といったことが、こまかく指示されたと記録されている。
また、現在の国分寺は仙台市営地下鉄東西線の「薬師堂」駅周辺ですが、
地層の研究などから、ここまで津波が押し寄せたと推定されているようです。
また地震被害で国分寺の屋根瓦などが被災して
どうやら朝鮮の新羅の国の瓦製造技術の痕跡のみられる遺跡もあるそうで、
全国各地、海外も含めて「復興事業」が進められたのではないかと
そういう時代の雰囲気が感じられました。
この時代の支配構造と権力というもののなかにも、
こういった志向性はやはりひとの当然としてあったのだと、つたわってくる。
民の被災状況がどうであったか、そういう記録はこの展示ではありませんでしたが、
記録の端々に想像力を掻き立てられる部分はあると思います。
ひるがえって、現代の宮古市での「復興住宅」。
わたしたち現代人として、自分たちの感受性を表現したいという
そういった共感も深く持つことができる住まいだと感じます。
ふたつの時代のコントラストのなかから、
なにごとかが、想念として浮かんできておりました。
Posted on 2月 1st, 2019 by 三木 奎吾
Filed under: 歴史探訪
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