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【住宅の価値感 「快適」からその先へ】

先日、東大・前真之先生の最新の講演を受講して感じていたのですが、
住環境の探究において、数値的把握だけでは限界があるということ。
よくUa値が指標として出やすいのですが、
あれって、あるレベルまで行くとかかるコストとそこから先の「効果」に
関連性が薄くなってしまう傾向が見られる。
もちろん断熱レベルとして、一定の指標になることは間違いがないけれど、
効用のコスパを人間の感受性が把握しにくい領域に行ってしまう。
大して感じないメリットにお金ばかりが掛かってしまう。
そうすると、そういった数字で語ってもあんまり意味がなくなる。
顧客視点に立てば、自分が望まない部分に異常にコストをかけられても
どうも了解しにくくなっていくのではないかということ。
また北海道的な住宅性能の現実を見ていると、
地域全体としての技術レベルとしては
「北海道で暮らしていても冬場にまったく寒さを感じない」
というユーザー目的の核心はコスパ的にみてほぼ実現している。
それはすでに「特定の作り手が先進的に実現している」ものではなく、
いわば地域の常識化している部分なのだと思うのです。
そういう「地域マーケティング」を考えると、また少し違う探究が必要。
そんな意味を込めて「人間のくらし発想の」というフレーズを考えてみた次第。

きのう仙台市内で開かれた「住まいと環境 東北フォーラム」総会。
慶応大学の伊香賀教授とともに「住宅と健康」について先端的に研究されている
近畿大学の岩前篤先生の最新講演があって、受講してきました。
きのうの講演では用意されていた印刷のレジュメとは違うお話し。
あれれ、と思っていましたが、まことに興味深い内容。
先生は健康と住宅という領域からのアプローチを継続的に探究され
「医学」との連携も機会が非常に増えてきているという。
図で示されているのは、医療というものがたどりつつある探究段階論。
中世以前の「錬金術」にルーツを持つ
いわば「魔法」として医療というものは始まり、
やがて経験知の積み重ねが「治療」領域として確立していった。
そしてルネッサンスと時期を同じくして始まった「科学」の時代、
それが現代を覆いつくしているけれど、
その「限界」もまた、露呈してきているとされていた。
最新学説が発表されても、1年以内にそれを否定する数多い反対説も出され、
そうした論争が決着しない時代になってしまったとされる。
その結果、施術とか治療行為として実施することが事実上できず、
進歩がむしろ科学検証によって滞っている現実があるとされていた。
先述の「Ua値」競争しか残らないみたいな住宅建築の現実と
非常に似たような状況が医療の現実でも起こっているとのだと。
この図で対照して言えば、「個々の状況に応じた治療」という次世代的型は、
「科学的証拠」であるUa値競争を超えて人間にとって有益ではという提起。
まだ、未分明な部分が多い考え方ではありますが、
いま、住宅性能論議のなかで起こってきていることの
どうも核心に近い提起であるように感じられました。
そのほかにも、非常の気付きの多い講演でした。
今後、その内容について折に触れて分析してみたいと思います。

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