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【江戸明治の北前船蝦夷地交易の空間記憶】


写真は北海道の日本海側北部、小平町の「花田家番屋」。
北海道ではいわゆる「歴史的建造物」という建築の数が少ないけれど、
そのなかでは比較的に保存が進んでいる江戸末期ー明治期の
大型漁業施設建築遺構です。
わたしはけっこう大好きで、ときどき訪問することがある建物。
以前は、この大型建築だけが海岸に対峙するように建っていたのですが、
最近は「道の駅」的な観光客収容施設も併設されています。
なんどか、このブログでも紹介してきました。

こういう建物に遭遇すると、わたしなどは、下の写真のような大空間架構に
強く惹かれる自分がいます。
たぶん、歴史的な歳月を力強く支えてきた構造の力強さに、
圧倒的な迫力を感じるのだろうと思いますね。
日本の歴史的木造建築といえば多くは宗教的建築が多いでしょう。
それは無条件で多数の人間が集う場であり、その空間を「良く」作ることこそが
基本的な建築の任務だということを教えてくれる。
そして長い年月を経てきたそういった建築には、そのこと自体で
ひとびとのリスペクトの意識が高まっていくのでしょう。
そういった本州地域で一般的な大型木造建築のありようとは違って、
北海道地域では、この建物のような「産業施設建築」が遺った。
宗教空間とは違って、なにやら物欲的な建築意図、精神。
他の地域では商家とかが相当するのかもしれませんが、
それらとも大きく違いがある。京都商家などが文化的洗練に走るのとは
どうも相当の精神性の違いがあると思わされます。
しかしもちろん、武家の大型木造城郭建築のように権力志向ではない。
どこか、独特な雰囲気が支配しているように思います。
そういった建築の意図を持っていただろう、「親方の空間」の方の
生活感というか、信条のようなものが垣間見えるのが、上のような
座敷を持った親方の私的空間の方であります。
現代の建築で言えば、工場・職住一体型の大型建築というようなことでしょう。
そういったオーナーの意識が、こういう床の間などに表現される。
江戸から明治にかけての「北前船交易」の経済主体というのが、
かれらの本性になるのでしょうが、高田屋嘉兵衛的な時代精神が
類推されるような空間性であります。
その北前船交易は、一攫千金的な大型漁業が基盤になっている。
たぶん、蝦夷地での漁業というやや投機的な気分、
それを「上方」に運んで巨利を得ていたかれらの精神が想像される。
床柱には、見たこともないような奇怪な姿形の銘木が使われていた。
北前船に乗ってビジネス旅行にやってきただろう上方商売人に対して
このような空間性で「もてなして」いたことになる。
少し驚かしてやれ、というような設計意図も感じる。
そうでなくても、大型架構の空間には度肝を抜かれる部分があっただろう。

はるかな後世にあたるわれわれ現代人も、
このような空間には、見たこともない豪放磊落な世界観をみて、
ふーむと、しばし思いを致すところがあります。
こういった世界観というか、生き方が一時期のニッポンには存在していた。
そういう面白みに、強く惹き付けられますね。

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