大工の人材不足が叫ばれて久しい。
このままでは急激な人手不足によって産業としての住宅建築が
消滅していくかも知れない危機だと言われながら。
しかし、その現実に対しての有効な対応が業界として打ち出せていない。
小学校の生徒に「将来なりたい仕事は?」と聞いたら
いまでも8番目に大工さんというのは出てくるのだけれど、
高校卒業時に聞いたら、まったく圏外に去っているのだそうだ。
たとえ、高卒時に生徒が大工職を希望しても、
進路指導の先生は、なかなか積極的には勧めないといわれている。
そういった現実の進行に対して、社会全体、業界が対処しているとは言い難い。
せっかくの住宅建築という産業機会があっても、
ユーザーが、建物全体まるごとフィリピンから輸入してくる住宅を
いまや、功利主義的に選択したりする。
社会全体が刹那的功利主義に走って、「ひとを育てる」ことに背を向けている。
こうした現実は、最後には社会の破綻を引き起こすことを感じつつも、
日々の「こうした方がトクをする」という選択につい向かってしまう。
どうしたらこういう現実を変えることができるのか、
北海道から、きのうひとつの運動体がキックオフを果たした。
名付けて「大工ネットワーク北海道」。
大工同士がさまざまな情報交換をする企業横断的なネットワークを作り、
職場環境の改善を進め社会的地位向上を目指して活動していくという。
各工務店企業は、それを支える立場、サポーターになっていく。
一石を投じていかなければならない。
きのうは、著名な宮大工・西岡常一氏の弟子である小川三夫氏の講話もあった。
伝統的な職人育成のナマナマしいお話しは深く首肯させられる。
結局、人材育成とは「自ら学ぶ」姿勢を涵養することという。
それには当然「時間がかかる」。促成栽培では成り立たない。
日本の木造技術は木の素性をしっかり見定めることで長く持つ。
写真は、ある古社寺の門とのことですが、
それを支える柱は、その木が育っていたままの「方角」で建てられているという。
南側はこの門の右側に当たり、外部に表面が露出する。
そこに立っている柱には枝を落とした節が荒々しく見えている。
<下の写真は左側が正面西で、右が南側側面>
見てくれ優先でこれを内側にして、反対に無節で「きれいな」面を外側に持っていけば、
すなわち、育った環境とは違う使い方をすれば、
千年も保つ木の力が、二百年くらいでダメになると話されていた。
木を見るということと、ひとを見るということが重ね合わさる。
きのうはこの集まりの前に、病院に行って薬局でクスリを受け取っていた。
そうしたら見覚えのある顔をみつけていた。
わたしの生家が55年前ほどに一部新築したときに、頼んだ棟梁さんだった。
いまは85才を超えたということで、しばし言葉を交わした。
10才になるかならないかの少年時の建築のことをわたしは良く憶えている。
なぜか住宅雑誌を自分ではじめた原風景に、
こうした人との出会いがあったことをマジマジと想起させられた。
不思議な巡り合わせと驚かされた次第。
Posted on 7月 2nd, 2017 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅マーケティング
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