きのうはカミさんの実家で義父の祥月命日のお参り。
こちらの宗旨は浄土真宗ということなので、真言宗のわが家とは違う。
なんですが、わが家は江戸時代の中期以降に「宗旨替え」をしていて、
それ以前にはどうやら浄土真宗、門徒であったようなのです。
調べてみると、その前後で商家としてのわが家では
亭主に先立たれた寡婦のみが残されていた家に、
入り婿さんが「嫁さん付き」で入っている。
って、ヘンなのですが、要する商家ののれん付きM&Aが行われたようで、
いわゆる血統は入れ替わったかたちになっているのですね。
で、そのときに宗旨が浄土真宗から真言宗に変わっているのです。
それ以前の家の宗旨は浄土真宗。
家系伝承では、このあたりかなりあぶらっこい展開になっている(笑)。
わが家は姫路の「英賀」という土地に縁があるのですが、
この英賀というところは、本願寺勢力の西の本拠地のような街。
そんなご縁もあるので、はじめて浄土真宗のお坊さんと懇談して、
あれこれをお尋ねしたら、ずいぶんと激しく反応していただけた(笑)。
吉崎御坊などの地名をあげて質問すると
まるで目を輝かせて、あれこれとお話しが弾んでしまった。
今の時代、宗教というのは政教分離などが前提になっていますが、
日本史と宗教は切っても切り離せない関係。
北海道にいることで、こういう宗教関係からはさらに遠のいていますが、
浄土真宗というものは、中世から戦国にかけて
動乱の時代の中心的な存在だったと思います。
そして日本の商家にとっては、浄土真宗というのは、
それ自体が巨大なビジネスネットワークだった。
吉崎御坊も行ってみればわかるのですが、
商業の基本である流通事業者の活躍する港湾〜水利基盤が
きわめて豊かなかたちで残されている。
織田氏、豊臣氏が、あれほどまでに本願寺勢力と非妥協的に
戦い続けたのは、たぶん、こうした商業利権での既存権力である
浄土真宗・本願寺勢力を打倒して、
その利権を完全に掌握しなければならないと考えたからだと思うのです。
信長の「楽市楽座」政策といちばん敵対したのは
本願寺勢力、流通ネットワーク勢力だったのではないかと。
そんなお話しで、真宗のお坊さんと異常に盛り上がって、
ほかの家族には、なんのことやらという迷惑を掛けておりました(笑)。
いろいろと歴史のお勉強にもなって、亡き義父に感謝でした。
<写真は「英賀神社」>
Posted on 2月 1st, 2016 by 三木 奎吾
Filed under: 歴史探訪
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