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隈研吾・東京農大 食と農の博物館

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さて、東京世田谷建築散歩シリーズ第4回です。
最近、隈研吾さんの建築にツイておりまして、
どうもこのところ、重なっているきらいはあるのですが、ご容赦を。
隈研吾さんって、建築という側からものを言っている感じが強い。
人間であるハズだけれど、建築というモノを背負っている。
そんな印象を強く持っています。
とくに国際学生コンペでの受賞作選定を見ていて
建築が社会とどう向き合って行くのかという立場を感じました。
いわば建築の自由な発想を守ろうというスタンス。
で、この「博物館」建築を見ていて
その前に見た「根津美術館」との同質性を感じていた次第。
根津美術館では立派な日本庭園という外縁装置を活かし、
竹のエントランスを象徴的に配置していていましたが、
この「食と農」博物館では、隣接した緑地との関係性を
この立地環境の主要な類縁性としてコントラストを際だたせている。
ここでは鉄骨造の構造フレームが外部に露出し、
それを石材で被覆させて外皮としてまとわせていました。
大樹町の「メーム」ではアイヌチセに着想して
その外皮に現代の石油化学素材をまとわせていましたが、
「食と農」という生物的なテーマに対して、
その反対概念的な素材を持ってきて、コントラストを際だたせている。
この数週間の間に、立て続けに見た隈研吾作品への印象であります。

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しかし、住宅を主要な興味分野としている者としては
そもそもこのような博物館・美術館などのカテゴリーの建築って
建築の文化伝統的に、あるいは機能性分析において、
どんな判断基準、軸があるのだろうかと、そもそも論的疑問も持ちます。
美術品などは、近代現代社会成立以前は、権力者などに
独占的に所有鑑賞されてきたものであることはあきらか。
市民社会が成立して以降、こういった「集団的鑑賞」行為の
入れ物、舞台としてこういった建築は成立してきた。
その建築物をつくる、構想するときに、
さて「建築」は、そもそもどう考えることにしたのか、
そういったあたり、疑問というか、知的好奇心も沸き立ってきます。
たぶん、それ以前には大衆が集まる装置としては宗教施設だけが
存在していたのではないか、みたいに想念が広がります・・・。

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