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木挽の技術

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歴史民俗博物館では、こんな展示もある。
いわゆる「木挽」っていうのは、室町のころからはじまったと言われているそうです。
それまでの日本では、木を水平方向に切る鋸はあったけれど、
垂直方向に切る鋸はなかったんだとか。
材木屋さんという存在は、大型木造建築の需要が高まった歴史年代に
この「木挽き」職人たちを集めて商売したのが始まりだそう。
神社仏閣などの大型公共工事目当てに仕事を受注したあと、
それでも、京都などで住み続けた職人たちに木を挽かせて
店の前で展示販売していたら、けっこう人気になって売れた。
いまでも、材木屋さんでは木を柱状にしたものを立てかけていますが、
ああいうスタイルが、室町期ころからはじまったと言われているのですね。
写真は、そういった木挽きの職人仕事をジオラマにしたもの。
こういう時期に、寸法という概念もできて
市中での流通の基盤になったことでしょうね。
製材と、木組み建築技術の社会的な分離は、
建築の産業化にとって、大変重要な過程だっただろうと思います。
それ以前の大型木造建築では、
材料自体をその場で切ったり、割ったり、かんな掛けしたりしていた。
それが、この写真のように木を挽く専門職が成立していったのですね。
もっと前の、竪穴住居の時代にはそもそも鉄もないわけで、
そうすると、石の道具などで切ったりしていたのでしょう。
アイヌの聖地、二風谷では、付近の河床から鋭利な木工細工に利用できる石が取れる、
ということで、そういう石を使って、丸太船を造ったりしています。
たぶん、そういった技術で木を扱っていたのだろうと思います。
いずれにせよ、鉄を加工した大鋸というのは、最先端技術製品だったようです。
もちろん、一般庶民にはそんな製材などを利用して家を建てるなどは
とんでもないことで、考えもつかなかった時代が長く続いただろうと思います。
一般庶民は、なんとか丸太を縄で組み上げて構造を造り、
それに茅などの線維製材を屋根・壁材として掛けていったのでしょう。
もちろん、自分たちの家は自給自足で作ったことでしょう。
こういう製材品は、一部の高級建築としての
国家施設、貴族などの建築施設などでだけ利用されたものなのでしょう。
そういったすばらしい建築が、ひとびとを感嘆させる装置として、
今日までありがたく拝観すべきものとして
日本的な権威の象徴でありつづけてきたのでしょう。
さて、お盆の休暇真っ盛りですが、
きのうは、かねてからの懸案業務で一日、執筆仕上げ作業。
ようやくメドが見えてきたところです。
ということで、本日は年に一度の高校の同期会。
朝からゴルフ、夜は宴会というスケジュール。
とはいっても、ゴルフは悲しいかな、ことし初めて。
さて、当たるものやら、どうなんだろうか、というところであります。
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