写真は、いつも朝に散歩する道の風景。
毎日見ていると、四季折々に変化していく様が、明瞭です。
杉は札幌が北限とされている樹木だそうですが、
北海道神宮周辺地域では、杉が森を創っている場所が多く見られる。
神宮境内は植栽の結果もあるのでしょうが、
周辺の円山公園地域は、自然保護区になっているので、
たぶん、このような植生がネイティブに見られていたのだろうと思います。
杉の木立を抜けて、人間の通常目線のあたりで、
太陽光の恵みを最大限に活かして、繁茂しようとする植物群は
このように、葉を水平に張りだして凜とした美しさを見せてくれる。
自然は、つねに合理的で、合目的的に輪廻していく姿を見せてくる。
ふとこんな初源的な美に気付かせてくれました。
長く存在し続けていく建築としての住宅では
きっとこういう「当たり前の美」というようなことが、
人間が意志する以前の感受性の部分で想定されているような気がします。
こうした水平ラインの美の他に、もうひとつあるとすれば、それは
山地の多い日本の風土に多く見られる三角形の美。
山のことをよく、その地域の「屋根」というように表現する。
「北海道の屋根」という大雪山系、というように言いますね。
無意識のうちに人間は、この自然に存在し続けている美しさから
多くのことを学んで、刷り込まれているのだと思えてなりません。
そう考えると、日本の建築は屋根の建築といわれる意味合いも理解出来る。
多くの山々が連なって、不揃いだけれど、なぜか均衡がとれている美を、
日本の山々からわたしたち民族は受け取っている。
結局、水平ラインと三角形というのが、
普遍的に存在する「形の美しさ」の基本にあり続けているのではないか。
わたしたちは、ものとしてのかたちを見続けるとき
きっとそんな周辺環境から刷り込まれた基準で、無意識に判断している、
どうもそんな「当たり前な」ことが、
だんだんに意識の中で、大きく育ってきているように思っています。
Posted on 5月 21st, 2015 by 三木 奎吾
Filed under: 日本社会・文化研究
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