「宰相」という言葉について。
安倍政権についていろいろな批判や非難があるのは、
そもそも自由主義社会というものの健全性を表しているので
あってしかるべきだし、そういう意見も貴重だと思います。
しかし、東アジア2カ国と国内の朝日新聞をはじめとするメディアの
必死のネガティブキャンペーンにもかかわらず、
国民は2度3度にわたって国政選挙で大きく信任を与えているのも事実。
政治信条として、安倍晋三氏が右派的な志向を持っているのは
事実だろうし、それはそれとして論じるのは普通だと思います。
わたし自身も、靖国神社については同意しにくい部分がある。
しかし、日本国民の選択はそういったレベルを超えて
かれの「経済重視」という姿勢に共感を持っていることが大きい。
そもそも「宰をふるう」という言葉が
「宰相」という言葉の実質だと言うことを、想起しなければならない。
漢字なので、古代中国に発祥する考え方だけれど、
宰という言葉には、そもそも食べ物を切って、
民人が食べていけるように采配するという意味が込められている。
それに対して皇帝権力は、基本理念を示すのでしょう。
その「皇帝的権力」では、現代では中国とごく少数の例外を除いて
基本的に人権と自由主義・資本主義を基本理念としている。
そこはしっかりと定まっている時代、現代に於いて
民主的に選ばれる「宰相」の本然は経済運営なのだということです。
そして民は、食べていけることが保障されるのであれば、
他の点を問題にして、宰相をどうしても変えろとは決して言わない。
本質的に、現代の政治が基本に考えるべきことはここしかない。
安倍さんは、どうも前回の政権失敗からこの点を大きく学んだのではないか。
アベノミクスが成功しているのかどうか
今後とも経済が好転していくのかどうか、けっして定かではないけれど
少なくとも、経済最優先の姿勢は国民に明示してきている。
民主党側、あるいは朝日新聞をはじめとするメディア側は
この点について、まったくアイデアがない。
先日も批判したけれど、孫崎亨とかいう人物に至っては
「清貧の思想」を持って日本は生きていこうなどと高言していた。
まことに「付ける薬がない」感を、深く実感させられた。
たぶん、安倍さんの政権を本格的に打倒しようと考えるのであれば
民主党を中心とする勢力はこの国の経済運営についての、
あらたな価値観と運営方針を示さねばならない。
この「食べていくこと」の前では、
「きれい事」はまったく無力だと思う。
きれい事だけを言うのであれば、共産党と相違はなく
最近の共産党の伸張は、このことを証明しているのではないか。
時代はいま、
きれい事を言う「いい人」を求めているのではなく、
清濁併せ飲んででも、ひとびとが食べていけることを最優先する
そういった「宰相」を求めているのだと思う。
Posted on 5月 6th, 2015 by 三木 奎吾
Filed under: 状況・政治への発言
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