再三お伝えしているように、
先日Kindleを購入して、はじめて電子本を購入して
ようやく1冊の本を読み終えました。
いま、話題の「呉善花」さんの韓国論の本でした。
まぁその内容については、またの機会とするとして
電子書籍端末での読書感について使ってから感じたことを書いてみます。
Kindleがわが家にやってきて半月。
数冊の電子本を購入したのが、1週間ほど前。
で、そのなかの1冊を今回、読み終えられた次第であります。
最初は、どう利用するべきか
よくわからなかったので、既存の手持ちの本をスキャンして
PDFとしてKindleで読もうかと考えました。
スキャナーとして優秀な機器があるので、試した次第。
やはり形のある本を裁断してスキャンすると言うことは
抵抗感があってできない。
したがって、厚みのある本ではどうしてもきれいにスキャンできず、
そのデータをKindleに持ってきても
読むという行為に没頭できるような状況にはならない。
とにかく文字を目で追うのに精一杯で
文章を読みながら、いろいろ思考を整理し、書き手と対話しながら
いわば、「考えながら読む」という心理状況に至らない。
案外、読書というのは物理的・人間工学的にもよく考えられた
システムと人間営為なのだと再確認出来た次第。
スキャンには限界があるとすると、
最初から電子本に最適化された情報をゲットするしかない。
ということで、Amazonには、無料で読める電子本がある。
とりあえず、電子本読書になれる意味では悪くない。
ただし、当然のように著作権の切れた古典なので
それなりの楽しみはあるけれど、やはり知的欲求からは物足りない。
そういうことが体験できて、ようやく電子本を購入してみました。
このあたり、人が本を求める心理を追体験するようで勉強にもなる。
つぎに問題になるのが、
興味を持っている分野の本で電子本でも提供されているものが少ないこと。
いまどきは、ほとんど両方が準備されているかと思ったのですが、
それはむしろ少数派。
ある程度、確実に売れるラインが読める本しか電子化されていない。
ここで、知的欲求にそっての読書という基本が叶えられなくなっている。
いま、わたしはこのような現実にいるわけですが、
さらにいえば、大量に保有している本棚との関係性が消える不安。
これが本当はいちばん大きい電子本促進の阻害要因でしょう。
やはり本があるという視覚的安心感は捨てがたい。
「積ん読」という言葉がありますが、あれもある意味では
ユーザーにとっては、大切な知的所有感の発露なのかも。
しかし、読書では電子本はやはりラクだ、というメリットは高い。
こんな現状を前に進めるアイデアを、いま時代は求めているのかも知れません。
<写真は無関係>
Posted on 7月 31st, 2014 by 三木 奎吾
Filed under: Mac.PC&DTP
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