きのうは年に一度の高校同期会。
もう28回、毎年恒例で続けてきている会です。
ここまで続いてくると、もはや伝統行事に近くなるのだけれど、
なぜも、こんなに続くのか、謎でもあります。
やはり考えてみて一番大きいのは
学園紛争などの「怒れる若者たち」の世代意識を共有してきたという点でしょうか。
ちょうど70年安保闘争の時代に自由な校風で知られた高校に入学したのですが、
入学したてのころ、月曜の朝「全校集会」があるのです。
中学生までであれば、これは「朝礼」ということなのですが、
ここでは「アッセンブリー」という生徒たちの自主的な運営での会なんですね。
わたしはそんな校風に惹かれて入ったので、
そうだよな、こういうのがこの高校なんだ、
っておもっていたのですが、知らない友人たちも多かった記憶がある。
そこでは、面倒だけれど自由を大切にして
みんなで物事を決めていくという「民主主義」が生きている感じがあった。
学校側・管理側の強制ではない集会なので、
ワイワイがやがやとうるさい雰囲気が充満している。
そういうなかで、生徒会の役員たちが運営していく。
ヤジや笑い声、怒号やらが渾然一体となって襲ってくる。
そういう雰囲気を破るように、共感を持てる意見が飛び出してきたりもする。
そうすると、ワイワイがやがやは一瞬にして静粛に包まれる。
拍手が巻き起こる。しかしやがてそれとも違う意見が飛び出す・・・、そういう
「民主主義」を揺籃させるような雰囲気を持っていたのですね。
アメリカに戦争で負けた結果、持ち込まれた民主主義。
それを根付かせようという努力があったと思うのです。
そこでは、生徒たちにこういう一見、無駄とも思える体験を積ませようという
当時の学校運営者たち、先生たちの大きな忍耐力もあったと思う。
しかし、70年の学園紛争を経て、
社会は「管理教育」の方向に大きく舵を切っていくことになる。
戦後的な民主主義涵養という流れと、
高度経済成長にともなう管理主義・合理主義の流れ。
その両面が、学園紛争を契機に管理主義・合理主義の方向に行くことになる。
違う言い方をすれば、いずれそうなるのではないかという潜在的な危惧感が
若者たちに反抗を選択させたのではないか、とも思える。
いずれにせよ、そういう「体験」を共有したという認識が
わたしたちの年代にはあって、
お互いの絆を強く感じ続けてきたと言うことなのでしょう。
きのうも写真のような当時の新聞紙面を保存していたヤツとか、
なんと、沖縄返還交渉と安保条約継続交渉のためにアメリカに向かった
当時の学園紛争の山場、佐藤首相訪米反対生徒集会での主な発言などが収録されたテープまで
ずっと持ってきたヤツもいるんですね。
生徒同士のやり取りには冷や汗をかくようなところもあるのですが、
しかし、その臨場感、民主主義的緊迫感も収録されていて、
なんとも胸を打ってくる部分がある。
そしてこういう集会でもずっと忍耐し続けた先生たちの存在というのも
強く感じることができた次第です。
まぁ、いまの管理教育の中では
即座に先生たちによって「正常化」されるのだろうなぁと思われる展開。
いまは、そういう民主主義が社会に存在しているものかどうか
現在の社会を作っている大人の一員である自分に
過去の自分から、生々しい問いかけが来たような感じがして、
一種、名状しがたい思いがこみ上げてくる気がいたしました。
NPO住宅クレーム110番|イザというときに役立つ 住まいのQ&A
北海道・東北の住宅雑誌[Replan(リプラン)]|家づくり・住まいの相談・会社選び
Posted on 8月 17th, 2008 by replanmin
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