政府は、「骨太の方針」的な諮問会議で
人口問題と日本の成長可能性について相当に突っ込んだ論議をしたようだ。
その内容の一端が、たとえば
人口減少していくと若い女性の数が極端に少なくなって
消滅危機に瀕する自治体の数が急増する。
東京でも豊島区が、なんていうアナウンスが流れたりした。
まぁだれが政権を担っていても、この問題が最重要テーマであることは
明らかだから、当然だけれど、
いまの安倍政権は必要ポイントには対応しているといえる。
ただただ目先のポピュリズムで大騒ぎしていた民主党政権とは
視座において、まったく違い続けている。
いま世界で「高齢化社会」をいちばん最初に迎えているのは
日本社会なので、われわれは世界の最先端で問題に向き合っている。
この問題と社会の発展とを、どのように調和させられるかどうか、は
人類社会の発展にとって、きわめて重要だと思う。
この局面で、国家運営として、経済社会として、
きちんとした対応ができるのかどうか、
世界全体が固唾をのんで注目せざるを得ない。
人口が減少していくことは必然であり、データが示すようになるのだろう。
資本主義的な社会変化に対応して、
人口が減少するように人類のDNAはセットされていたのだと思う。
出産・子育てという、お金に換算できない営為は
すべてをお金とコストパフォーマンスに置き換えて判断する
資本主義社会では、むしろ「損になる」とDNAは命じているのだと思う。
だから、先進国では一様に少子化が進展しているのだろう。
しかし一方で、資本主義は人類に巨大な豊かさや便利さを産んだ。
発展するという方向で未来を見通して
次の時代を構想すれば、こうした少子化などの、
マイナスなことがらは否定されるのではなく「止揚」されるのだろう。
だから、わたしたちの主要なテーマは表題のように
「人口減少でも豊かな社会は可能か?」ということになるべきだ。
考えてみれば、先進国・ヨーロッパ諸国はおしなべて
人口減少に遭遇し、アメリカもいわゆるアングロサクソンでみれば人口減少。
アジアでも韓国の人口減少の急角度ぶりは日本をはるかに凌駕する。
ひとりっ子政策をとってきた中国も事情は同じ。
そのように考えれば、これら国家社会がすべて衰退し滅亡すると考える方がおかしい。
そうならないための人類的な知恵を、
わたしたち、日本人は最初に考える機会に遭遇していると
真っ正面から取り組んでいくべきなのだ。
こういった国家レベルでの論議の内容が
徐々に詳らかになり、それを咀嚼した官僚機構・大学研究機関からの
対応策、方針に注目していきたいし、
また、わたしたちレベルでも、大いに知恵を絞っていきたいと思う次第。
Posted on 6月 3rd, 2014 by 三木 奎吾
Filed under: 日本社会・文化研究
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