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エコハウス研究会全国大会 in 清澄庭園

1969

きのうは早朝に仙台を出て東京に移動。
建築家・丸谷博男さんが主宰する表題の会に出席です。
朝10時から懇親会の終了の午後20時まで、
長丁場の大会であります。
丸谷さんとは、東日本大震災への被災者支援活動としての
住宅情報支援誌・「東北の住まい再生」出版活動がきっかけ。
わたしどもの出版に際して調査を進めた、全国の支援の動きの中で
「そらどまの家」という被災者のために企画発案された住宅構想を
象徴的なイメージとして取り上げたのでした。
いわば住宅事業者の被災地へのメッセージ性をそこに感じた次第です。
その後、その進展にあわせて取材活動を進めておりました。
その「そらどまの家」の構想を基盤にして全国的な動きとして
エコハウス研究会という組織が立ち上がり
その活動が3年を超えて、全国でそうした事例も積み重なってきて
今回の全国大会になった次第。
そういう意味で、わたしどもも、関わりは当初からあったのですね。
建築家・丸谷さんは、吉村順三さんの流れを汲む東京芸大の
建築研究者グループを代表する存在。
吉村順三先生の門下生に奥村昭雄(東京藝術大学名誉教授)がいて、
丸谷さんは、そのさらに門下生。
奥村先生の「熱と空気をデザインする」という思想のもと、
熱と空気をコントロールして室内に快適な環境をつくりだす
OMソーラーの起動力として、自宅建築がその研究台になったのだそうです。
なので、「そらどま」というネーミングに、OMソーラーの流れを
イメージするのは、ある意味で自然。
わたしども北海道東北では、高断熱高気密が基本ですが、
OMソーラーについても、その理念には共感も持っている次第。

1970

こういったキャラの丸谷さんのプロデュースする大会なので
会場も東京江東区の「清澄庭園・大正館」という施設。
さすが、東京芸大であります(笑)。
午前中の趣旨説明的な発表に続いて午後からは
全国各地での事例発表が以下のように行われていました。

1 ケアサービス三郷(埼玉県三郷市)
 寺山建築工房・寺山実
2 重症心身障がい児対応生活介護事業所(静岡県清水区)
 永田デザイン一級建築士事務所・永田章人
 酒井信吾建築設計事務所・酒井信吾
3 三軒の「そらどまの家」に取組んで(三重県桑名市)
 松田建設・松田貢
4 これから取組む木造事務所(愛知県一宮市)
 菅原律子設計事務所+itiS・菅原律子
5 店舗併用住宅「石直」(愛知県名古屋市)
 エアデザイン一級建築士事務所・大住篤志
6 京都サロン(京都府京都市)
 松彦建設工業・松本良平  伊礼智設計事務所
7 自邸(愛知県一宮市)
 安井聡太郎一級建築士事務所・安井聡太郎
8 片瀬の家(神奈川県藤沢市)
 龍口元哉建築設計事務所・龍口元哉
9 呼吸する家の壁(東京都新宿区)
 工学院大学工学部西川研究室

その後、詩の朗読を庭園の「涼亭」という迎賓施設で楽しみ
懇親会も盛大に行われました。
前日に続いてのパーティ。気持ちとしては酒量控えめですが、
ついつい、ついつい(笑)になりそうで、12月はコワいですね(笑)。
みなさん、ご自愛を。

住まいと環境 東北フォーラム定例会・忘年会

1968

きのうは仙台にて表題の例会・忘年会。
朝、すでに雪の降り始めていた札幌から仙台へ移動。
なんですが、まだそれほどの降雪はないのでしょうか。
天気予報にせき立てられるような出発でした。
仙台入り後、仙台オフィスのスタッフと情報交換。
で、仙台は1日中、雨の降り続く天気。
早い日の入りもあって、なんとなく街全体が師走ムードに入っていますね。
住まいと環境 東北フォーラムは
日本建築学会の吉野博会長が理事長を務められている
東北地域の住宅性能研究団体。
どちらかというと、大学などの研究機関のみなさんが会員に多い。
住宅メディアとしては、東北地域での住宅に関する情報の流れが把握できる。
ことしの事業活動の総括やら、継続案件の状況など
総体的に理解出来て有意義でした。
例会後、懇親の忘年会であります。
きのうは珍しく、2次会まで参加させていただき、
多くのみなさんと懇談できました。
やや、二日酔い気味。あんまりアタマが回転しません(笑)。
って、それほど変わりはないか(笑)。

写真は、仙台国分町の歳末風景。
ご存知のようにきのうから選挙に突入して、日中は時折うるさい。
2週間の短期決戦ですが、
慌ただしさと喧噪が交差していました。
さて、本日は東京に移動します。ふ〜〜、がんばるぞと。

神社探訪〜福島護国神社

1922

わたしの趣味生活の中で大きいのが古寺社探訪。
全国を旅していて、やはりその土地で、どんな神様が祀られてきたか、
そういう部分というのが、どうもその地域地域の基本旋律だと思う次第。
まぁ神様なので、特段生々しく伝わってくるモノではありませんが、
その地域の倫理観や、感受性のありかを示してくれる。
みんな同じように見えて、実は見ていると奥深い部分も感じてくる。
そういう発見があることが、無上にうれしくもなる。
で、福島というのはこれまであんまり宿泊機会がなかったので、
ホテルの人に、喜々として聞いてみた。
「この辺で神社と言えば、どこなの?」
っていう問いに、しばらくは全くの無言。
「え〜〜、福島に神社ってあるのかなぁ」
こっちこそ、え〜〜、であります(笑)。
で、早朝散歩前にインターネットで検索して、ここがと特定したのが
福島護国神社であります。
「護国神社」というのは、全国各地にあります。
きわめてエスニックな文化である神社というものの
ある一面をよく表している存在だと思います。
まぁ、創建はそんなに古くはないでしょう。由緒書きによると

遡ること約130年。当社の前身である招魂社は、
明治天皇の思し召しにより明治12(1879)年10月4日に造営されました。
戊辰の役に従軍した殉国者で相馬・田村・会津の招魂場に祀られていた御霊と、
西南の役に殉じた管内人の御霊が最初に合祀されたのがはじまりです。
それ以来、国難に殉じた御霊を合祀されてまいりました。
創建当時は官祭信夫山招魂社と命名され、
のちに指定官祭福島招魂社と改称されました。
昭和14年には内務大臣指定の官祭福島県護國神社となり、現在の名となったのです。
現在の社殿はこの時代の昭和12年に建てられたものです。

っていうことですから、新しい神様。
福島という町自体、明治戊申戦争のときに、会津を攻撃する政府軍の
駐屯基地になってからの街ですから、新しいのは当然なのですね。
そういう経緯があるので、福島県という県の名前も、この土地から名付けられた。
完全に薩長政府軍側の落下傘的な、占領軍総司令府ですね。
写真のように、まだ神域の樹木も熟成しておらず、
どこか人工空間的な印象がぬぐえませんでした。
なにより、神域の奥側に金網というのはいかにも不粋なのでは・・・。
こういった創建伝承を聞くと、むしろ会津の悲運というような
判官びいきにこころが向かっていくのは、仕方ないことかなぁ・・・。

さて本日は、早朝から仙台へ移動。
住まいと環境東北フォーラムの年末例会と、今年初の「忘年会」出席。
いよいよ、押し迫ってきてあとことしも一カ月ですね。
今月もいろいろとあちこちと出張が続きそうですが
体調管理に気をつけて、最後の月を乗り切りたいと思います。

重要文化財・函館太刀川家住宅

1962

きのう鹿肉ステーキを食べた店の紹介をしていませんでした。
名称は「太刀川カフェ」というのだそうで、食べ物もさることながら、
建築としてもたいへん興味を覚え、写真を撮影させてもらいました。
目も、舌も、存分に楽しませていただいた次第であります(笑)。
きょうはその写真を、建築写真集的にご紹介。
以下、WEBで見掛けた「概要」であります。

国指定重要文化財(1971.12.28)・函館市景観形成指定建築物
明治34年(1901)建築
設計:山本佐之吉  施工:山本佐之吉、伊藤栄次郎
構造:煉瓦造、二階建、桟瓦葺  建築面積:116.6㎡
煉瓦造、木造トラスの洋風構造でつくられた土蔵造の外観をもつ店舗で、
内部は和風を基幹とし、一部洋風をとりいれている。
和洋折衷の店舗として意匠もすぐれた建築。
かつての海岸通の繁栄を伝える商家の一つで,左右両側に袖壁を備えた店舗は,
防火造り商店の代表格となっている。
屋根は、寄せ棟の瓦葺で、煉瓦の壁を漆喰で仕上げ、
鉄柱で1階梁上の3連アーチを支える意匠は、ほぼ20年前に建設された
「金森洋物店(指定番号40)」にも見られものですが、
2階部分が和風の意匠となっていることなどから、
建物全体としては全く違った印象を受けます。
1階2階とも開口部が広がり、開放的な感じを与える建物。
昭和46年には、国の重要文化財に登録されています。

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太刀川家は越後国(新潟県)長岡の出身で初代を善之助といい、
代々善之助、善吉、善吉、善平、善一と続き、いまの当主善一氏は6代目に当たる。
初めて函館に渡って来たのは2代目善之助で、
幕末に23歳の若さで当時の箱館に来て米屋を開き、
北前船を持って回船業や漁業などの事業に手を広げていった。
伊達から十勝に土地を所有し、広尾には漁場があった。
そこからとれる雑穀やサケを帆前船に積んで越後に下ろし、
越後からは米や材木などを積んで来て商売をしていたとのこと。

内部の五間ほどの間口に柱がなく天井の高い豪放な空間が
往時の栄華をしのばせてくれます。
店舗の正面壁面には、重厚な建具造作があしらわれていて、
また、建物の随所にすばらしい引き戸建具が使われています。
その職人仕事の精緻さ、素材の質感のみごとさに圧倒されます。
やはり北海道でも、こういった優美な古建築はたくさん残っている。
そういう古建築に丹念に光を当てていく作業を、北海道人として
死ぬまでに、いつかはやらなければならないなぁと、思い至らされる次第です。

鹿肉ステーキ in 函館

1961

きのうはカミさんと息抜きで函館へ。
夜中3時半過ぎに家を出て、一路向かい、函館到着は7時半過ぎ。
朝食は「自由市場」で、イカ刺し定食。
なんですが、なんのために行ったのかというと
先日カミさんが食べて感動したという「鹿肉ステーキ」であります。
こっちはランチで食べようということで、それまでは
あちこち散策して、という次第。
しかし、意に反してイカ刺し定食は大変なボリュームでして、
これを平らげるだけでもなかなかの満腹感。
函館奉行所見学くらいでは万全な空腹にはならなかったのですが、
ご覧のようなランチに挑戦であります。
意外なほどくせがなく、うまみや甘みが感じられる味わいと、
ローカロリーで鉄分豊富というヘルシーさが評判で、
市内の料理店でもメニューに取り入れるところが続々現れています。

1959
1960

鹿肉は函館の近郊の森でハンティングされたもの。
エゾシカは北海道内で、天敵とされるエゾオオカミが絶滅させられてから
その頭数が増えてしまって、いまは「害獣」指定されていて
狩猟が推進されているのです。
こちらのオーナーシェフさんは、ハンティングの免許を持たれて
手にしている鹿肉のモモは、2日前に近郊の山野で仕留めたものだそうです。
まだあまりなじみのないエゾシカ肉ですが、
フランス料理でシカ肉は「ジビエ(狩猟による鳥獣肉)」といって、
秋から冬にかけてのごちそう。日本では、食害をもたらすエゾシカを
有効に利用するという意味でも、注目されています。
鹿肉は数回食べていますが、きれいな血抜きが必須で、
それがキチンとされているものは、くせもなく、味わい深くヘルシーな肉です。
付け合わせも兼ねて、トマトベースのソースが合わせられていましたが、
シンプルな塩こしょうで、十分な旨みと清冽感が感じられる味わい。
その上、新鮮な個体でないと食べられない「レバー」も
あわせて食べさせていただきました。
モモ肉と比較して、プリプリとした食感で、いわゆるレバー臭さはほとんどない。
下の写真は、さらに「タン」の部分、舌の部位ですね。
それを少し湯通しさせた状態なんだそうです。
本当は、ワインなどが似合うところですが、
札幌まで帰るし、そこは断念いたしました(笑)。

ということで350km・往復700km超の長距離ドライブの末に食べたのですが、
まことに満腹感ハンパなく、晩ご飯はとてもムリ、食べられませんでした(笑)。

Replan臨時増刊 「冬を楽しむ。2015」発刊

1934

昨年に引き続き、好評のReplan増刊号です。
高断熱高気密の北海道・東北の寒冷地住宅ですが、
そういう住宅性能と同時に、いわば文化としての「炎を楽しむ」
北国らしい生活文化も息づいてきています。
気候風土が、ニッポンとはやや違いがあるなかで、
ふつうの暮らしになじんだ薪ストーブ、ペレットストーブの楽しみ。
そんな世界を誌面で「体験」してみませんか?

Replan北海道 2015冬春号 臨時増刊
「薪ストーブ・ペレットストーブで、冬を楽しむ。2015」
北海道・東北の書店にて販売 2014年11月29日刊行・12月2日発売
A4版124p(表紙共) 定価1,000円(税込)

暮らし方、住まい方によって、炎とのつきあい方も異なります。
ライフスタイルに合わせ、
共働きをしながら週末にストーブライフを楽しむ夫婦、
子どもと一緒に憧れの本格的なストーブを楽しむ家族、
主暖房を薪ストーブにして本格的に採り入れた高性能な住まい、
リフォームと同時にペレットストーブを採用したお宅など、
ヘビーユーザーからライトユーザーまで、
家庭によって異なるさまざまな炎のある空間をご紹介いたします。

「冬を楽しむ。」第2弾。
冬の暮らしを彩る炎の魅力がこの本の中に詰め込まれています。
Contents
◆巻頭特集・使い方別「炎のある空間」
 〈北海道・東北4事例〉
◆ペレットストーブのこと、ちゃんと知りたい!
◆炎を囲む暮らし〈北海道・東北の住宅22事例〉
◆SHOP Report 薪ストーブ日和
◆炎育ー子どもに伝えたい炎の魅力
◆Q&A
 炎のある暮らしを楽しみたいあなたに、知ってもらいたい7のこと。
◆薪ストーブ・ペレットストーブ専門ショップ〈北海道・東北〉

お買い求めは、お近くの書店で
また、ReplanHPでも購入できます。

道総研フォーラム

1958

さて年末進行の真っ盛りで、同時進行しているプロジェクトは
作業量も膨大ななか、ある原稿の〆切がまったく守られていない(笑)。
やむなく督促、督促。
そんななか、ひょんなことからその著者さんから突如のお誘い。
「これから道総研フォーラムで講演しますから、来ませんか?」
要するに鈴木大隆さんからのコール。
お忙しい方なので、たまに顔を合わせておくのも至当かと。
むむむ、ということで、会場までは15分ほどで到着するので
急遽の取材活動であります。
このあたり、同じ札幌市内にいるというのはありがたい。

鈴木さんは、国の省エネ基準見直しの動きの中で
中心的な役割を果たされて、その他、陸前高田での復興支援など、
道外での活動も目の回るほどの忙しさで駆け回られていますが
そういう忙しい人の動向をこそ、誌面で紹介したい
ということで、本誌Replanでは、連載のエッセイを書いてもらっています。
そういう鈴木大隆さんですが、本職は道総研のなかの住宅研究組織・北総研の
メイン研究スタッフという立場です。
道総研というのは、北海道のシンクタンク組織を束ねた組織です。
わたしたち住宅関係に馴染みの深い北総研の他に
林業試験場や、林産試験場などの森林資源関係組織や
食品関係の組織もあるのです。
で、きのうのフォーラムは、こうしたシンクタンクがひとつの組織になって
「戦略研究」づくりに取り組んできた約5年間の活動成果報告だったのです。
題して「自立可能な地域社会の実現に向けて」。
今回の発表では、そのなかでも森林から住まいづくりまでの一気通貫な
産業構造の方向性を、地域材「カラマツ」利用に集中して
さまざまな角度から、調査研究開発してきた軌跡であります。
食品関係の方は、別のひとに譲って、わたしとしては、住宅関連の方に取材。
メインテーマは「森林から住まいへ、産業連携で開く地域イノベーション」。
取材の中身については、別途、誌面などでご報告いたします。

で、終了後、鈴木さんと情報交換、あいさつ。&原稿の督促(笑)。
そうこうしているうちに、武部建設の武部豊樹社長ともバッタリ。
最後は、3人で住宅関係の情報交換になっておりました。
キーワードは伝統木造でありますが、
たいへん興味深い中身のたっぷりの情報交換でありました。
あ〜、はやく原稿、こないかなぁ・・・(笑)。

自然林の木道メンテナンス

1948

いつも散歩の時にお世話になっている木道。
札幌地下鉄西24丁目駅を下りて、徒歩で札幌円山公園から
円山動物園に至るメイン道路の「裏道」として利用されている。
たいへん素晴らしい杉林の中をフェトンチッドに癒されながら歩くことが出来る。
林間からは円山の自然のままの混淆林が垣間見える。
この地域は、明治の開拓初年の頃、アメリカ北西部から来た
「お雇い外国人」都市計画家たちが起案して、
開拓前の自然林を後世世代のために保護するようにあるがまま、
自然のままに保存してくれた。
さまざまな札幌という土地が育む樹種、様相を教えてくれる。
そういうなかを最小限の遊歩道を造作して歩くことが出来る。
屋根がかかっていない外部露出で、しかもやや湿潤気味な場所。
そういった条件の中で、この木道はあります。

1943

アングルは違うのですが、
こんな雰囲気で使われ続けているのです。
毎朝、その日の土地の匂い、空気の肌ざわりを伝えてくれる。
やはり、そういう「感性装置」である以上、
材質は、腐りやすくメンテナンスが不可欠だとはいえ、
やはり木道であることがふさわしいと思います。
そして、散歩する人が減少するこの時期、
メンテナンスが行われ、不定型な形状に合わせての補修工事が行われる。
設計図に基づいて正確に施工すると言うよりも
自然の起伏、傾斜に会わせて
現場的に判断しながら施工しているに違いない。
わたしにとってもっとも身近な「公共事業」ですね。
たぶん、さまざまな声が、この工事に対して寄せられているかも知れません。
「木道」という選択に対して、
毎年の工事予算計上に対して、論議があるだろうことも想像に難くない。
しかし、わたし、基本的にこの現在の姿勢、
支持したいと、ひそかに思っております。
工事に携わっているみなさん、大いにがんばってください。
よろしくお願いします。

札幌円山自然林リス写真2

1951

やっぱり世知辛い話題よりも
自然の無垢なイキモノの話題の方が気が休まる。
でも、こういう自然の生き物にも餌付けなどの
人間社会からの「やさしいお節介暴力」もある。
いろいろ考えていかなければならないこともありますね。
本日は、あるテストも兼ねて、2度目の投稿であります。

1953
1954

なかなか「モノ言いたげ」な表情も見せてくれる名役者。
すっかりゾッコンになってしまっております。
かわいい。

リスさんから、ついに友だち承認(笑)かなぁ?

1949

よお、であります(笑)。
ことしもずいぶん札幌円山自然林周辺でリスたちとめぐり会ったのですが
すっかり葉も落ちて、こっちも途切れ途切れの
散歩と言うことで、最近はじっくりと遭遇することがなかった・・・。
しかし、出会いはいつも突然にやってくる。
恋はいつでも初舞台、といいますが(笑)、まったくその通り。
で、本日はこっちもゆとりを持って
悠然とiPhoneを取りだして、撮影させてもらった。
自然の輪廻を生きているかれらとの遭遇は
まずは謙虚な姿勢にならなければ、ということで、
こっちからの体動はごく控えめにすることに、
かれらが姿を現したその場所で即停止して、
「わたしは、おまえに安全な平和の使者、存在なのだ」光線を発射させる。
本当はナッツのひとつかみでも持っていればより良いのかも知れないけれど、
それはそれで自然動物への倫理破壊行為かも知れない、
と思うので、正直に「お前に与えるものはないけれど、害を為す存在ではない」
という一点に意識を絞り込んで、ひたすらかれの防御本能を慰撫する。
そういう時間意識に集中するのですね。
たぶん、遭遇時間は長くても3分程度なんでしょうが
かれらの動き回る様、
その一挙手一投足が、まさに一期一会そのもの。

1950

そうやっていたら、
だんだんとかれの防衛本能バリアが崩れてきたのか、
徐々に異種動物間間隔が狭まってくる。
まぁたぶん、わたしがエサをくれる多くのフレンドリー人種と勘違いして
近寄ってくるのでしょうね。
でも、ないものはない。
すべてかれのなすがままにして、まるで樹木にでもなったように
静かなまなざしだけで立ち尽くしておりました。
ほんの一瞬、たぶん3分くらいの時間ですが、
こういう異種動物接触、それも野生を生きる動物との接触は
心の深い部分に、いろいろな思いを残してくれますね。

1930

すっかり晩秋の光景の散歩道です。
本日からは、ズボンも真冬用のダウン仕様のものに履き替え。
これからいつ、雪が積もってもおかしくない時期ですが、
そうなったら、靴も考えなければならない。
例年だと、だいたいこの時期までで散歩は終えるのですが、
ことしはできる限り、続けたいと思っております。