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伊勢式年遷宮と「反日」

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ことしの伊勢神宮式年遷宮への参拝が1000万人を超えるのだという。
伊勢というのは、ことし初めて行ってみてわかったけれど
地理的に一番近いと思っていた名古屋からもクルマで
ゆうに2時間以上かかるし、京都大阪からもたぶん、それくらいはかかる。
東京からだとすれば、1日かかる旅程になる。
そんな土地であるのに、それほどまでに多くのひとが参集した。
わたしには、このことは韓国・中国による反日ということが
それを刺激している側面があるように思われてならない。

歴史事実で見ると、やはり日本列島社会、そこに生起した国家は
抜けがたく、中国大陸と朝鮮半島に生起した国家群との「国際関係」が、
最大の外交テーマであり続けたことは間違いがないと思う。
とくに「日本」国号が成立し、「天皇」号が確定した天武帝の時期は、
唐と新羅による連合軍に白村江で大敗し、
必死で唐との講和外交を展開したに違いない時期だと思う。
国内的には、天智帝の後継者大友皇子と、天武が対立して壬申の乱が勃発する。
国内で内戦が起こるほどの緊張が満ちた時代だった。
その天武が、内戦に勝利するきっかけになったのが、伊勢への参籠だったとされている。
主に「東国」の武力を集めて、兄・天智の遺児、大友皇子の軍を破った。
どうもそんな故事が、現状の韓国・中国による「反日」の動きで
ふたたび日本の動向に影響を与えるようになったと想起される次第。
戦争によって引き起こされる惨禍は、人間社会に多くの禍根を残していくけれど、
韓国による反日は、やや常軌を逸脱してきてもいると思う。
大統領が、国家間で領有権が争われている島嶼に上陸して
凱歌を上げるなどという、およそ平時とは信じられない行為に及ぶのは
かなりの常軌を逸した状態だと思う。
なぜそんなことにまで韓国の社会は立ち至るのか、と疑問だ。
さらに国連の場で、女性閣僚が慰安婦問題で国家としての日本を追求するというのは、
これもまた、かなりの異常な状態と言えるだろう。
国家間関係での不可逆的な手の上げようではないか。
考えてみると日本は、こういった東アジアでの国家間関係は
あんまり立ち入りたくないと思い続けてきていたのではないか。
明治初年に「脱亜入欧」というスローガンが掲げられたのは、
下地としての気分として、厭気がしてたまらないアジア、という響きがある。
とくに朝鮮国家は、日本に対しての伝統的態度として
儒教的な「宗主国」体制、中華国家を中心とした世界観からして、
ものの道理をわきまえない野蛮国家として日本を見下してきていたとされる。
いま、現代世界にいたって、中国の経済的立場が高まってきて、
そうした伝統的国際関係に、朝鮮半島国家が立ち戻ろうとしている。
それは半島国家として必然的とは言えるけれど、
立場の異なる独立性の高い列島国家には、やや迷惑な態度ともいえる。

そういった関係のおぞましさから、
いわば、精神の浄化にも似たような国民的体験として
「伊勢神宮式年遷宮参拝」が、多くの国民に志向されてきている、
というのは、うがち過ぎた見方だろうか?

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