最近の日本や世界の政治状況を見ていると
その底流として、いわゆるグローバルスタンダードを巡っての事態の進行がある。
大阪、関西で橋下市長の政治的伸張に対して一貫して批判的だった
知識人のみなさんのなかから、とくに内田樹さんを中心にして、
こういった分析が行われてきています。
近代の国家と相容れず、その内部から破壊するようなパワーとしての
グローバルスタンダードを特定しているところは、是認的に受け止めています。
先日、ファーストリテイリングの社長さんが、
スタッフの年収100万円を世界標準として受け入れるべきだと発言しましたが、
このことは、まさにグローバルスタンダードの立場からいまの日本に対して
その「既得権益構造」破壊として切り込んできたと言えます。
グローバルスタンダードの立場からすれば、世界中どこでも、
同じ労働であれば、同一賃金であるべきだ、という主張になるでしょう。
それは理解可能だけれど、しかし、現状からすれば、
それはさまざまな社会発展の結果としての
日本国内での「労働環境」を、切り下げる方向に働く。
おおむね、日本の政治指導者たちはこの方向で、
いわばグローバルスタンダードの立場に立って、より強大な資本主義からの要請に
自ら、より過激な方向に舵を切っていくことで迎合しようとしてきている。
橋下さんは、最低賃金制の見直しをも主張していた。
さらにこうしたグローバリズムと矮小なナショナリズムが実体的に結合しているのが現状。
慰安婦問題での橋下さんの発言、その考え方の背景は、ひとつの極致でしょう。
なぜ、グローバリズムはナショナリズムを必要とするのか、
これはわたしの推論ですが、
どうも、グローバリズム企業発展のためには
資本主義の世界競争を強調することが、すなわち
外国への敵愾心を利用するのが、
近道であるというようになっているのですね。
最近の嫌中・嫌韓の風潮は、資本主義世界競争の中で、
企業の戦略部分で同様の世界戦略をとっている両国に対するヒステリー刺激が
いちばん効果的だとなっているのではないでしょうか。
まぁ、おおむね、こういった論点から現状の事態を分析して
いろいろな発言をされてきています。
大いに注目して、その行く末を見つめ続けたいと思っているのですが、
氏の発言でも、ではどうすればいいのかは、
まだ方向性は明確には打ち出せてはいない。
一方で資本主義の拡大によって、企業活動は世界競争にさらされるようになって、
いやおうなく企業は、自己防衛的に、そのグラウンドの中で
戦わなければならないのも厳然たる事実。
基本的には企業というものの存在価値は、
その立脚する地域の発展しか、究極的にはありえないのではないかと思っているのですが、
しかし、グローバリズム競争も戦わざるを得ない。
むずかしい時代を生きているな、という実感しきりであります。
むむむ・・・。
写真は、札幌市の円山公園に隣接するアメリカ領事館を
公園側から見返した様子です。
Posted on 6月 8th, 2013 by 三木 奎吾
Filed under: 日本社会・文化研究
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