旭川市の中心市街地を貫く4条通りに面して
昔から古物商があって、そのたたずまいに目を引かれ続けている。
時間の経過を拒否するかのような、
そうしたモノたちの集積が、なにかを訴求するのだと思う。
で、先日の旭川訪問の折、
ちょっとだけ、覗いてみることにした。
カミさんは拒否反応が強烈で、同行しないというので、
やむなく、わたしひとりで敢然と(笑)、店内に入ってみた。
古物というのは、そのものズバリ、実用性で考えればまったく無用に近い。
ほかのどんなものにも反応しなかったけれど、
唯一、「これは能面ですか?」と思わず聞いたモノには、
どうもこころが動かされた。
ずっと直立していた店主とおぼしき方が
「いや、それは能面に似せた飾りで陶器製です」と教えていただいた。
こういった店では、たぶん、訪問客が反応しない限り
働きかけてもムダと知り尽くしているかのような
聞かれて初めて語る、という反応方法を取っているに違いない。
「能面に似せて、陶器を作っているの?」
という疑問が湧いてくる。
ということは、能面にはそのようなモノとしての力があったということか。
確かに言われてみれば、そのようなシチュエーションの
室内飾りを想起させられる。
能面というのは、ひとつの造形でいろいろな感情表現をするモノで
中間的でいて、しかし、劇的には高まった場面では
象徴的な「表情」である必要性がある。
そのなんとも言われない「寸前」とでも言えるような表現力が
作者の力量として伝わってくる部分があって、
室内の飾りとして考えたとき、
能の好きなひとには、需要があったに違いない。
ある種の劇的な要素がそこに凝縮されている力なのだろう。
ただ、そこに展示されているモノたちには、
そこまでの力は、わたしには感じられませんでした。・・・が、
案の定、わたしの性向を察知しているカミさんからの
「早く帰ってこい」ケータイコールが来て(笑)
それ以上には進展せず、古物商店舗を後にせざるを得ませんでした。
まぁこのあたりのタイミングも、見事でしょうか(笑)。
「こんな分けわかんないモノを家に置かれたら困る」という
カミさんの危機感もよくわかる次第であります(笑)。
ということで、ややこころに残るモノはあったのですが、
一応、どんなモノが展示されているかの
情報だけは得られたので、今回はここまでとさせていただきました。
こうした体験は、その後、心の中で
ある発酵期間を経て、何かの拍子に出てくる瞬間もあると思います。
なんとなく、ややあぶない感じがしたお店訪問でした。
まる1日の休養とお薬が効いて、
おかげさまで、風邪の症状は劇的に緩和されてきています。
やれやれ、であります。ふ〜〜よかった。
Posted on 4月 20th, 2013 by 三木 奎吾
Filed under: 古民家シリーズ
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