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国の滅亡はどう起きるか

ちょっとショッキングな書き方でしょうか?
あるひとから、神戸女学院大学教授の内田樹さんの言論活動のことを聞いて、
そのブログの愛読者になっております。
で、最近の氏のブログで、わたしも以前司馬遼太郎さんの書かれていた
戦前の国の滅亡への引き金になった軍部暴走の軌跡を
「統帥権干犯」問題を焦点として解き明かした文章を読んでいて、
その内容と軌を一にする内容を書かれていてその符号に内心、反応したのです。

「統帥権干犯」と言っても現代の人間にはピンと来ない話ですが、
明治憲法においては、軍事指揮権は天皇に帰属しており、
その指揮内容は、おおむね軍内部からの「上奏」「奏上」に事実上委ねられていた。
天皇は、よく「機関」であることを自覚されて権力行使されていたので、
この構図のなかでは、事実として軍部に国家意志決定のあらかたが委任されていた。
戦前の国家予算における軍事支出の割合は7割にもならんとする規模だったそうで、
もう国家は,事実上軍事独裁であった。
その軍部においては、陸軍学校での「成績」上位者が枢要の地位を占めることが
確定していたので、巨大権力に至るキャリアパスの構造が出来上がっていた。
なにやら、軍内部での人事考課には成績が最優先されていたそうです。
選挙を経た政治家たちは「腐敗している」というレッテル貼りで
マスメディアが格好の餌食にしていって、
軍部に歯向かう存在は、テロとマスコミがどんどん血祭りに上げていった。
このようなこの国の滅亡に向かったかつてのありようが、
ふたたびちょっと違う形でいま、再現されようとする空気を感じる、と
発言されていたのです。

国家の指導層は、どのように選択されねばならないか。
国の指導が「優秀である」ということはどう担保されるべきなのか。
どうも深く考えさせられる事態になってきたのではないか。
教育は現代では、人間を涵養すると言うよりも
他者との相対評価での優位を確保することが優先され、
テクニカルなものになっている。
そういった危機はたしかに進行していると深く同意せざるを得ない。
そんなおぞましさを感じた次第です。

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