きのうの続きであります。
北海道の過疎に悩む地域では、ビッグネームを呼び込むことに力を入れている。
倉本聰さんの富良野市などが、好例になって
地域興しには、そうした個人のパワーが有力であると認識し始めているのですね。
産業の育成とかいうけれど、
そして企業誘致のために、まずは土地整備が必要と
「工業地域」というような土地分譲を行ったけれど、
その多くは、目標未達のままに土地だけが放置されてきている。
そういうことに力を入れるよりは確かに、ひとのパワーって、大きな力にはなると思う。
しかし、一方で地域では盛り上げる力の継続性も必要。
そういうとき、この川俣さんのプロジェクトで強い地域力を発揮しているのは
「高校同期生」という結びつきの強さではないだろうか。
行政の側でも、現代におけるコミュニティの構成要因の実質を考えていくべきだ。
単なる「地域社会」というあいまいな概念に流れることなく、
人間の結びつきの紐帯の強さそのものに気付いていく必要があるのではないか。
自分自身の例でも、いまや都会生活では
地域的な結びつき、ということは非常に難しくなっている。
人間の移動手段が徒歩圏での生活が基本であった時代と
格段に便利になり、クルマでの移動が基本要素になった時代では、考え方に違いが出る。
そういう意味で、地域が育んだ人間が故郷になにがしか、
役に立っていくことを考えたら、その地域に生き続けている高校同期生って、
まことに役に立つ存在だと思う。
多少利害関係に食い違いが出たとしても、
そういう関係性でなら、一肌脱ぐ、というような役回りも人間は引き受ける。
今回の現代アート・川俣正さんの地元での活動に当たって、
もっとも生きたコネクションって、そういうものなのだと思う次第。
結構、こういう関係では無償の働きも
「しゃぁない」と引き受けてしまうと思いますね、自分で考えても。
武部さんのブログを見ていても、そういった邪気のない様子で奔走している。
きっと、かれ川俣正さんの作品がどうだとかこうだとか、
あんまり考えずに、友だちのことだし、よしやっか!っていうことで動いたのだと思う。
そういうこと自体が、「地域興し」ということの実質なのでしょう。
で、そういう起動力としては、芸術というのはなんとなく
多くの人への「納得力」があるように思う(笑)。
わたし自身も、多少はそういう経験も持っているので
大いに理解できるところ。
そういう意味では、高校の人間の結びつきというのは
その地域にとって、もっとも有意義な無形固定資産だと思います。
土地の価格のように、そう簡単には目減りもしないのではないか。
人口減少時代になってきて、そのような地域間競争というのが
始まってきているように思う。
その土地で過ごした青春の力。結局は「愛着力」が最大の地域の資産になって行く。
その機縁がかなり実質的な人間同士の結びつきの強さだと思う。
机上の立案が多いと思われる地域興しの現状ですが、
こういう最終的なソフト面まで、計画に織り込んでいかない限り、
けっして成功はおぼつかない。
先日行った広島では、神楽という芸能が地域興しに役立っている。
ああいった芸能に深く憧れるのですが、
そういう特段の資産を持たないわれわれ、北海道の地方地域では
芸術家とその純粋な協同者って、なかなかにほほえましい関係性だなと思った次第です。
きょうは、現代アート・川俣正作品体験-2
というテーマでしたが、ややずれたかなぁ(笑)。
でもまぁ、この作品はたいへん面白い地域と人間の関係性を見せてくれた契機でした。
ぜひ多くのみなさんが体験されることを望みます。
この現代アート見学希望の方は、こちらへ
Posted on 7月 18th, 2012 by replanmin
Filed under: 「都市の快適」研究