古い時代から残り続けている日本建築で
雨への対応を考えていない建築というのは
ほとんど見たことがありません。
それなのに、とくに戦後建てられているビルなどでは
すべて軒とか庇というものが省略されて、
数年経つと、雨仕舞いの悪さがごらんの写真のような結果として
みごとに表面化してきます。
こういう建築を渡される子孫は、どうすればいいのでしょうか?
世界観がおおむね東アジア世界に収斂していた時代でも
たとえば、中国や朝鮮とは日本の建築はやや違いがあった。
それは屋根のデザインで、軒の出が深くなっている点。
ヒマラヤから吹き付けてくる偏西風に
たっぷりと含まれる水分を持ち続ける多雨気候というのが、
日本の気候条件の基底的な部分だと思います。
それがあるから、旺盛な森林の繁茂があって鉄の生産適地になり、
必然的に工業が発展する基盤を構成していた。
で、そこに生起する建築文化は木造であって
しかも、多雨気候に似合うものでなければならなかった。
ところが、比較的に小雨である地域で発展した建築学を
唯一絶対の価値観に崇め奉ってきたのが
明治以降の日本の建築工学の体系。
雨への配慮が、日本とは比較にならないほど考えられていない。
そういう考え方が中央集権的な建築行政の中で
日本の津々浦々まで、均一な破綻を見せている。
青森の町中で、こういう光景を朝一番に目にすると、
「さぁ、美しい日本で今日も元気に働くぞ」
という気持ちはなかなか湧いてこないと思う。
戦後という時代が残しつつある、負の遺産について
わたしたち年代の人間は、なにかの働きを残していく必要があるのではないか。
日本にはやはり似合わないものは、
勇気を持って変えていかなければならないのではないか。
震災以降、大きな気付きが、わたしたちの社会で始まっていて
その大きな流れの中に
「日本」が再生していこうとする動きもあると思う。
ぜひ、そのように舵を切っていかなければならない。
Posted on 12月 12th, 2011 by replanmin
Filed under: 「都市の快適」研究