きのうは朝は八戸で目覚め、午前中は八戸市内で数社訪問後、
仙台まで新幹線移動。で、新しくなった駅ビル内で知人と打合せ後、
仙台のスタッフとクルマで福島県いわき市までの移動。
移動交通手段もレンタカーから新幹線、さらに自社社用車とめまぐるしく変化。
いわき市内で開かれた、当社お取引先であるエコビレッジグループの
新会長・新社長就任披露会にお伺いしておりました。
いわき市を中心とする地域工務店の雄・エコビレッジさんとは、
福島の応急仮設住宅の木造建設の動き以来、
JBN東北の活動の中心として活躍されたことから、縁が深まっています。
きのうの和田会長のあいさつでも、その当時の状況についてお話になっていましたが
日本では震災の度ごとに地域にとっても、被災されたみなさんにとっても
メリットの少ない大メーカー製造工場で作られ現地に移送される鉄骨プレハブだけが
建てられ続けていた現実に大きな風穴を開け、地域が総体で活躍する道を開いた。
とくにいわきでは、原発被災からの避難が集中する中で
住みごこちのいい木造仮設住宅が、自らも被災者であった
大工さん・職人さんによって大量に作られ続けた。
当時は日夜を分かたず、さまざまな困難の中で職業的使命感で作業に当たった、
その様子が、会長のお話や大工職人さんのあいさつから伺えました。
多くのみなさんにも、ふたたびあのときのことが鮮明に思い出されたと思います。
その後の熊本震災へと引き続いた流れを国交省も認めて
この10月にも作り手たちへの「大臣表彰」がなされる運びとのこと。
わたしどもも、地域の住宅雑誌として、あの動きには
大いに力づけられ、そのことを多くのひとに伝えることに
使命感を感じてもいたと思っています。
出来上がった木造仮設住宅の屋根にまで、参加した職人さんたちが上っての
完成写真を撮影したりして、感動を共有したことが想起されます。
そうした地域工務店の経営は長く続いていく必要がある。
住宅の寿命はいまや、50年以上100年にもなる時代。
そういうなかで、建てた住宅に対して「見守っていく」活動は地域の作り手が
その主役になることはきわめて自明。
全国メーカー企業では建てるその時だけの関係になるのに対して
地域工務店は、その地域の住宅全体に対して
いわば「製造者責任」をまっとうすることができる存在。
そのためには企業として永続していくことがなによりの「責任」だと思います。
そのような思いを込めて、自らの責任が十分に果たせる時期を計って
後継者を育てていこうという和田会長の思いが伝わってきた。
若々しい息子さんの和田新社長を中心にして、一致結束していこうという
企業としての地域工務店の姿を見させていただきました。
いま、全国でこうした継承が非常に多くなってきています。
その意義を多くのみなさんと共有していきたいと思う次第です。
Posted on 9月 14th, 2017 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅マーケティング
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