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【山種美術館「川端龍子展」&恵比寿周辺散策】

さてきのうはZEH推進協議会セミナーでのわたしの疑問点、
国の温暖地の「暖房」エネルギーの認識把握で、電気ヒーター暖房が
カウントが不明瞭である可能性に論及されていた部分について書き込んだところ、
たいへん多くのみなさんから反響が寄せられました。
そしてついには、セミナー主催者である小山ZEH推進協議会代表理事から
前向きに対応したいというコメントまでいただきました。
コメントをいただいたみなさんに深く感謝するとともに、
この件については、小山さんからのお知らせを待ちたいと思います。
たいへん誠意ある対応をいただいて、ありがたく思っています。
で、わたしは明日から九州訪問で、東北フォーラムの熊本地震状況視察見学会に
参加予定で、当の小山さんから説明を受ける予定になっています。
あ、こちらは熊本地震被災状況についてですが・・・。
ということで、いったん、きのうの話題は継続中ということにいたします。

ときどき東京に行くと、よく鑑賞してくるのが山種美術館。
恵比寿の駅からバスに乗って2停留所目にある美術館ですが、
琳派、日本画の展示ですばらしい展示をやってくれるので大ファンなのです。
洋画というのは苦手で、日本画の方に傾いていまして、
歴史的な琳派誕生の経緯とか、その作品群に深く惹かれてきているのです。
わたしは高校生の頃には反権力の考えを持っていた少年期だったのですが、
その後はどうも一貫して日本的なるものに深く惹かれてきている。
琳派の追究してきた美には、圧倒的な親近感を持つものです。
逆にモネの睡蓮などはこのインスピレーションが伝播したものではと思っています。
今回は川端龍子さんという、名前だけは知っている画家さんの展覧会。
琳派という仕分けではないのでしょうが、感覚が民衆的で肌合いに親しさを感じた。
以下、Wikipediaよりの要旨抜粋。
〜川端龍子(かわばた りゅうし、1885- 1966年)は戦前の日本画家、俳人。
当初は洋画を描いた。1913年渡米し西洋画を学んだ。が、待っていたのは厳しい現実。
日本人が描いた西洋画など誰も見向きもしない。失意の中、立ち寄ったボストン美術館で
鎌倉期の絵巻の名作「平治物語絵巻」を見て感動したことがきっかけとなり、
帰国後日本画に転向。当時の日本画壇では個人が小さな空間で絵を鑑賞する
「床の間芸術」が主流で繊細で優美な作品が持てはやされていた。
龍子の激しい色使いと筆致は粗暴で鑑賞に耐えないといわれた。
それを逆に利用して反逆し、「床の間芸術」と一線を画した
「会場芸術」としての日本画を主張し「青龍社」を旗揚げ独自の道を歩んだ。
昭和の動乱期、画壇を飛び出し独自の芸術を切り開いた日本画家である。〜
なんとなく、民衆的というのはこのあたりのことだろうか。
あるいは、結婚して食べていくためにメディアの挿絵を描き続けたことが、
そういった作風に、いわばユーザー志向に舵を切らせていったのかと思われました。


で、山種美術館はわたしの母校・國學院にほど近く、
散策しながら、「國學院大學博物館」での展示も見学。
写真は縄文土器のようなのですが、まるで縄文時代のウォシュレット(笑)。
こんな造形感覚もあったのかと、民族的伝統の感覚に打たれておりました。
立地は都心であるのに、静かな環境が維持される中にあり、
最近校舎がどんどんとモダンに建て替えられてすばらしい学習環境。
すっかりこの周辺での閑静な住宅地域散策がお気に入りになってきてます。

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